『菓子戦争』










「やっぱりガイアさんも胸の大きな女性がお好きなのですね」
唐突なルフレの言葉にガイアは空耳を疑った。しかし、ひどく真剣な眼差しでこちらを見上げ返答を待つルフレの姿にその可能性をすぐに打ち消す。
「お前…いきなり何を言い出すんだ」
一応、聞き返してみた。
「だって…昼間お会いした方は…」
そう言われて一瞬なんのことかと思ったが、昼間に街で偶然出会った昔なじみのことらしいと気づく。
「リシェルのことか？」
「随分親しげでした。お付き合い、なさっていたのでしょう？」
「いや。ただの知り合いだぜ？」
相変わらずルフレは鋭い。が、『お付き合い』などという可愛らしい関係だったわけではないので嘘はついていない。確かに『関係』はあったのだが勿論そんなことは敢えて言うつもりのないガイアだった。
ぽんぽんと無意識に青銀の頭を撫でるガイアの手にルフレがそっと手を重ねた。
むうと頬を膨らませて夫を見上げる。ガイアが思わずその頬を突くと、ぷぅと空気の漏れる音がした。
「ガイアさ、んむっ」
ルフレが上げた抗議の声は重ねた唇に吸い込まれた。

柔らかな手触りの青銀の流れを飽くことなくすくガイアの手。その優しい動きに心地よさそうに目を細めるルフレ。
「新しいお仕事ですか」
「おう。菓子屋同士の争いがあってな。ある菓子屋が創り出した芸術的菓子のレシピを別の菓子屋が盗もうとしてる」
「それで、ガイアさんは盗む側なのですか？」
「いいや、守る側」
「へえ」
意外そうなルフレの声音に憮然とするガイア。
「職人の叡智の結晶だぞ？人気商品を盗作したくなる気持ちは分からんでもないが、それはあくまでも本人の舌と腕でもってやるべきだ。今回のやり口は気に入らねえ」
どうやら盗み出そうとする側からも声をかけられていたようだ。
「ガイアさんのそういう義理堅いところ、好きですよ」
そう言われたガイアが意地悪い笑みを浮かべて、
「好きなのはそこだけかい？」
そう聞くと、
「いいえ。ガイアさんの全部を、愛してますよ」
平然とルフレが応えを返した。
「俺も――愛してるぜ、奥さん」
ルフレの華奢な肢体に覆いかぶさるようにしてガイアが口づけを落とした。

そこは、ルフレが想像したよりも遥かに小さな商店だった。石造りの平屋の建物には歴史を感じさせる重厚さがあるが、シンプルに商品の並べられた店先と奥に続く作業場はこじんまりとして、けれど清潔さに溢れていた。
その店構えに相応しいこざっぱりとした初老の男がこの菓子店の主人にして唯一の職人、その人だった。
「そのお嬢ちゃんはどちらさんだ？お前ぇの妹かなにかか」
「嫁さんだよ」
しばしの沈黙。
「お前ぇ…趣味変わったな。以前はもっと、こう」
「やっぱりそうなんですね！？」
「おやじさん…頼むからそれ以上余計なことを口走らないでくれ」
そう言いながらガイアは値を払ってこの店の菓子を一つ買う。店の奥にあるテーブルの前にちょこんと座ったルフレの前に菓子を置き、持参した包みから出した焼き菓子をその隣に置いた。
「てめえ、そんなまがいもんを俺の店に持ち込むんじゃねえよ」
噛みつく店主に片手を挙げて謝意を示す。
「すまんね。こいつに事情を手っ取り早く説明したかったのさ。まあ、食え、ルフレ」
そう言われ、ルフレは目の前に置かれたふたつの焼き菓子を見比べた。こんがりと焼けたきつね色のふわりと丸い形の菓子だ。一見して見分けがつかない程に似通っている。
まずは向かって左、この店の菓子を手に取り一口かじる。途端に香ばしさが広がり、さくりとした食感の表面とふわふわの中の生地の差が口に楽しい。上品な甘みが主張しすぎることなく、全てが一緒になって、余韻だけを残してとろけてゆく。
「…すごくおいしいです」
言葉にするとそうなった。
もうひとつの菓子を手に取る。ルフレはその瞬間に違和感に気づいた。
「…先ほどのものよりも硬いみたいです」
「嬢ちゃんは良い観察眼をしてるなあ。まあ、食ってみろや」
店の主人がそう言った。
ためらいなくぱくりと一口かじる。
「………ぜんぜん違います」
食感から違う。焼き目をつけるためにか焼きこみすぎた表面は硬く、中は水分が抜けてぱさぱさと舌に障る。きつすぎる甘みは精製糖だろうか――先ほどは感じた卵の甘みも粉の風味もきつい甘みが消し去っていた。
「おいしくないとは言いませんが…もう一度食べたいとは思いませんね」
ルフレは正直にそう述べた。
「これを、こちらと同じものだと言って売っているのならかなり悪質だと言わざるを得ません」
「嬢ちゃんは話のわかる子だなあ」
嬉しげな店主にがしがしと頭を撫でられた。
「あの…嬢ちゃんではなくできれば名前で呼んでいただけませんか？」
「嬢ちゃんはなんて名だい？」
「ルフレと申します」
「なんだい救国の軍師様とおんなじ名なのかい。可愛らしい外見で厳つい野郎と同じ名とはねえ」
「本人だよ」
ガイアの言葉に店主がは？と固まった。
「救国の神軍師ルフレってえのは…」
「女で、こいつがそうで、いまは俺の嫁さんだ」
ルフレはあまり人前に姿をさらさない。ごく近しい人間はもちろん彼女のことを知っているが、軍では常にフードを被って過ごしていたルフレの顔を知るものは少なく、また戦場での鬼神のごとき働きから――その気迫の凄まじさから身体が二回りは大きく見えることもあって――軍師ルフレは男だと勘違いするものも多かったのだった。
たっぷり時間をかけて店主が事態を飲み込んで、ようやく口を開いた。
「………はぁ？」
まだ飲み込めていなかったようだ。
「だから、こいつが聖王の軍師ルフレなんだよ」
「いや、分かった。分かったが…お前ぇ、その軍師様にうちの菓子を守る策を考えさせる気なのか」
「そうだぜ。こいつ以上の策士はイーリスどころか世界中捜しても見つからねえからな」
もごもごと、店主が作った方の菓子の残りを食べ終えたルフレが慌てたように口を挟む。
「私はそんな大層なものではありませんよ。できるだけのことはさせていただきますが」

事情はこうだ。
創業当時から味の変わらぬこの店の焼き菓子はイーリスで密かな人気を誇っていたが、ギムレーが滅び平和が訪れてからは各地を行き来する旅行者が増えたこともあって噂が噂を呼び今では絶大な人気を誇っている。しかし店主が一人でこつこつ作るこの菓子は一日に１００個限定の品で、またあまり日持ちがしないこともあり、現在では入手困難になっている。またそれが人気に拍車をかけるのだった。
そこに目をつけたのが、王都でもかなりの規模を誇る菓子店だった。こちらは沢山の職人を要しており、大量生産ができる。需要に追いつかないのならうちが作ってやろうかと、その店は申し出たのだった。ただしそれは脅迫まがいの申し出だった。あとはうちが大量に作ってこの菓子をイーリスの名物として広く知らしめるから、そちらはもう隠居してはどうか、という。

「うちの味を正しく継いでくれるってんなら、まあ俺も年だしな、考えないでもなかったが――この出来だ。はいそうですかと言えるわけがねえ。が、そうしたら奴、勝手に作って売り始めやがった。しかもうちの半値でだ」
「半額ですか」
うーんとルフレが唸る。なにも知らぬ観光客ならば、そちらを買うこともあるだろう。どちらを買うのか、それは勿論客の自由だ。だがそれで、この店が作っている菓子の評判までが落ちてしまっているとなると深刻だった。

「邪魔するぜ」
「邪魔だ、帰れ」
店の入り口からかけられた声に、そちらを見もせず店主が返した。
「相変わらず連れねえ応対だなおい」
そうして店に入ってきたのは一人の青年だった。三十をいくつか過ぎたぐらいの年齢だろうか。どこか軽々しい雰囲気を纏っているが、顔の造作がこの店の主人とよく似ている。
「そのぶんじゃあ、まだ俺に全部を任せる気にはならねえみたいだな、親父」
「当たり前だろう。あんな半端もん勝手に作って売りやがって」
「そう思うんならさっさとレシピを俺に寄越せよな！」
「――だからお前ぇは駄目なんだ」
「んだと！？」
やはりこの二人、親子らしい。

喧々諤々とやり合う二人の様子をぽかんと見つめるルフレが口を開いた。
「ガイアさん、こちらの焼き菓子を模倣して大量に売ってる方、というのは…」
「おやじさんの倅だ」
「親子喧嘩なのですね」
「すっかりこじれちまってなぁ…」
「はあ。お話し合いで解決できないものなのでしょうか」
「すると思うか？」
「いえ。でも放っておくと、このお店の評判までどんどん落ちていってしまうわけですね」
「それどころか、おやじさんのレシピを奪うために何か物騒なことをやりだしかねん」
「成程、事情は分かりました――策も、おおよそは浮かびました」
「ならあいつが帰ったら作戦会議といこうぜ」
「はい」
散々にやりあった後、なにやら捨て台詞を残して店主の息子は店を出て行った。

数日後の夜、ルフレとガイアは件の菓子店の屋根の上に陣取っていた。
「あのお店ももうご存知なのですね…」
「おう。先週見つけた」
「どうしてもガイアさんよりも先にお菓子屋さんを見つけられません」
「妙なことで張り合うやつだな」
「だって…ガイアさんのびっくりする顔が見たいんですもの」
むぅと、可愛らしく頬を膨らませるルフレをにやにや笑いのガイアが見つめる。ふ、とその表情が真顔に戻った。
「――来たな」
「はい、では、手はず通り」
ルフレが表通りに舞い降りるのを見届けてから、ガイアは裏通りへ降りた。

ルフレは店主から預かった菓子のレシピの束を手に、店に近づく影と対峙した。

音もせず路上に降り立ったガイアがあらかじめ決めていた位置に陣取る。
――しばらく後。
派手な音がして裏口の扉が内側から開かれた。
息を乱して飛び出してきたのはルフレ。それを追うようにしてもう一つの影が走り出てくる。身体をぴたりと覆う黒装束、はちきれんばかりの胸元が女性であることをこれでもかと示している。にやりと浮かべた笑みは匂い立つような色香をたたえ、束ねられた長い髪が揺れると匂やかな香りがした。
「リー！」
彼女の名はリシェルという。以前街でルフレも出会ったことがある、ガイアの昔なじみの女盗賊だった。
「あらガイア。あんたも守る側？たいした実入りもない依頼を受けるなんて相変わらずねえ」
にこりと軽く笑みながら手に持つ刃を構えなおす。
「でも手加減はしないわよ。さ、レシピを渡してちょうだい」
剣を突きつけ言い放つリシェルにルフレが応えるように抜刀した。
「そう言われて渡せる筈がないでしょう」
「…あなた、この間もガイアの隣にいたけれど、だぁれ？」
「――妻です」
その言葉にリシェルがぽかんと口を開ける。次いで、くすくすと笑いだした。
「まさかあいつが結婚するなんて…あなた、どんな魔法を使ったの？」
「なにも――あなたにお話できるようなことは、何もありません」
あとは無言で地を蹴るリシェルの剣をルフレが受け止めた。

立て続けに繰り出される剣戟をルフレは受け止める一方だ。徐々に押されていく小柄な身体が路地の隅に追い詰められていく。
「――っ」
声にならない苦痛の叫び。ルフレの右腕に朱が走る。
鋼のぶつかる音が響き、ルフレの持つ剣が弾き飛ばされた。喉下に切っ先を突きつけられ、荒い息を継ぎながら相手を見据える。

軽く舌打ちの後ガイアが小刀を構える。しかしそれは放たれることはなかった。
ガイアの首筋に突きつけられた刃。気配を殺して近づいていた相手の方を振り向く。
夜に溶け込む闇色のローブ。彼譲りの明るい色の髪と母譲りの理知的な瞳。
「マークお前…なんでここに居る」
「ええと。バイトを少し。父さんはどうしたんですか？」
どこか気まずそうなマークの口調。
「仕事だ」
「う〜ん…嫌な予感がしますねえ」
「奇遇だな。俺もだ」
「――父さんは、守っている？」
何をかはあえて言わずに問う。
「…お前は盗みに来た方か」
うんざりしたようにガイアが返した。
「そうですよ〜。この綺麗なおねえさんが小遣い稼ぎをやらないかって言うから。遊ぶ金欲しさに、つい」
「親子揃って同じ方に絆されるなんて」
胸元に切っ先を突きつけられたまましみじみとルフレが言うのに、
「全くだ」
ついガイアが答える。
「やっぱりそうだったんですね！？」
「…………誘導尋問は良くないぜ、奥さん」
「あとでゆっくりお話を聞かせていただきます」
彼女にしては珍しくぷりぷりと怒りを表しながらの言葉だった。
「痴話喧嘩はあとにしてちょうだい」
ぐいと上げられた切っ先が喉下に突きつけられてルフレが仰け反る。
彼女の外套の内に納められていたレシピを、リシェルが奪った。
ゆっくりと、刃を引く。
にっこりと浮かべる笑みが艶めかしい。そうして闇に溶けるようにして、女盗賊は姿を消した。
「それじゃあ、父さん母さんまた後で」
にこにこと笑みを浮かべたままマークも姿を消した。

「はあ。強いですねえあの方は」
「――阿呆。もう少し上手に負けられんのかお前は」
手当てのために外套を脱がせて。ルフレの右腕から流れ落ちる赤をガイアがべろりと舐め取った。
「甘い」
「まさか――んっ」
それが自らの血液に対する感想だと気づいて驚いた声を上げるルフレにガイアが口づける。口腔内で絡まりあう舌と舌。――甘くはない、ただ、鉄の味がする。そう冷静にルフレは思った。
ようやく離れたふたつの影の間を、どちらのものともつかぬ紅い糸が引いた。

「しかし、本当に盗ませちまって良かったのか、レシピを」
「本当はご主人の頭の中にしかなかったもの。それでは相手方がいつまで立っても納得しないからと、ご主人を説得して書き出していただきましたが」
その情報をわざと流して盗ませた、ということらしい。でなければ主人を拉致してでも菓子の秘密を聞き出そうとしかねない程に、彼の心は曇ってしまっていたのだった。
「あんな紙切れの束ではご主人の技も心も盗めはしません。ただ利益を追求するような方の手では、あの夢のようなお菓子を再現することなんて、そもそも不可能なんです――それに、早く気づいてくだされば良いのですが…」
材料ひとつひとつに対する拘りと目利き。季節や天候によって少しずつ変化する配合と製法。可能な限り記してもらったが、それらを一読しただけでとても真似などできないとルフレにも分かるような、そんな内容だった。

レシピを盗ませてから数日後、菓子屋の店先で対峙する主人と息子の姿があった。
「――今更弟子入りさせてくれって言っても」
「馬鹿野郎。俺ぁ弟子は取らねえ主義なんだよ」
息子が、深々と頭を下げる。
「親父のレシピを見て、作って。やっと分かったんだ。俺がどんだけ半端な気持ちで継ぐなんて言ってたのかが。あれは、言葉で伝えられるもんじゃねえ。肌で感じて、日々向き合って初めて作れるものなんだ。だから…」
「…………弟子は取らねえ。が、邪魔にならん場所で見てるのはお前ぇの勝手だ」
「！いいのか！？」
「俺も、年だからな。その代わり二度と半端もんは作らんと誓え」
「ああ――だが大量生産は諦めてないぜ」
「てめぇ」
「味も見た目も何一つ妥協せずに、誰の手でも作れるような方法を考える。それが俺の夢だからな」
「……好きにしな」
苦りきったように主人が言った。

「さあ、開けてみてくださいガイアさん」
にこにことルフレが差し出した箱をガイアが受け取る。
開くとそこには綺麗に焼かれたクッキーが一杯に詰められていた。
「これは」
わずかに目を見開くガイアを満足そうにルフレが見つめる。
ガイアがクッキーを一つ摘み、口に放り込む。さくさくと軽い口当たり、程よい甘みと香ばしさがある。あの店の新たな名物にきっとなるだろう。
「美味い」
「あのお店のご主人に特別に焼いていただいたんですよ。ふふ、ガイアさんも知らない美味しいお菓子、ようやく手に入れられました」
「僕もバイトに精を出した甲斐がありましたよ」
にこにこと言うマーク。
「お前は引っ掻き回しただけだろう」
「すいません。ちょっとまとまったお金が欲しくて」
「マークがお金を欲しがるなんて珍しいですね？言ってくれれば私が都合をつけましたのに」
「自分で稼がないと意味がないんですよ〜」
意味深に笑むマークをそれ以上は追及せず、ルフレも菓子をひとつ口に入れた。






--END--


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2013/9/29収納