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『寝顔』
guire side 敵陣の偵察を終え、ルフレとの合流場所と決めた大木の下でガイアははて、と首をひねった。 ルフレが向かったのは敵の前衛側、ガイアが潜り込んだのは大将を抱える敵陣の奥深く。どう見積もってもルフレの方が先にこの場にたどり着く筈だが、姿が見えない。 ――待ちくたびれてどこかほっつき歩いてるのか。 いささか緊張感に欠ける密偵の相棒の性格を思い、溜め息混じりになんとはなし上を見上げると。 青々と繁った枝葉の間から見慣れたブーツの先が見えていた。 「……………」 しばし無言で上を見て。 ガイアは身軽に木を登り始めた。 ルフレは丈夫な枝に身を預けて気持ち良さそうに眠っていた。ガイアが同じ枝に乗ると、二人分の体重に枝が僅かに軋んだが問題なさそうだ。 「ルフレ」 ガイアの気配にも気づかず眠りつづけるルフレに声をかける。 「おい、ルフレ」 もう一度、声量を上げて呼びかけるがまったく反応がない。 そこで、一度眠るとそう簡単には起きないと女性陣が話していたのを思い出した。 起こすのは諦めて、しみじみとルフレの寝顔を見つめる。 青銀の髪が木漏れ日を受けてきらきら光る。同じ色合いのまつげが彩る目蓋の下に瞳が隠された、それだけで随分と印象が違った。 綺麗に通った鼻筋や、形の良い唇、少女らしくまろい輪郭や滑らかな肌の白さが際立って。 これで寝息が聞こえなければ良くできた人形細工と言ってもよさそうな。 はじめて出会った頃には、あと五年もすれば大した美女に育つと思ったものだが…未だにルフレは可憐な少女のままで。どうやら成長期は終わっていたらしいと、記憶をすっかりなくした彼女は悲観するでもなく淡々と結論付けていた。 ――まあ、目を開けててもなにを考えてるか分からん人形みたいな奴だが。 笑顔どころか表情が変わるのを見たこともないし、口調も常に淡々として。 唯一。凍てついた水面のように完璧に凪いで見えたルフレの感情の波は、クロムと話す時にだけ僅かながら揺らぐ。互いに親友であると言い合う相手であるだけに、気を許しているということなのかとは思っているのだが。 それを気に入らないと感じる自分が居ることに、ガイアは随分前から気づいている。 その、理由にも。 相変わらず目覚める気配のないルフレの寝顔を眺めながら、ガイアはあることに思い至った。 瞳を閉じたその寝顔を、つくりものめいたと感じるということは。 ――俺と話している時にも、多少は感情が動いてるってことか… そう気づき、胸のまんなかが少し暖かくなって。 ガイアは思いきり顔をしかめた。 ――これは、まずい、な。 本気に、なりかけているようだ。と、一人ごちる。 そっとルフレの頬に触れると、思った通りに柔らかく、思った以上にあたたかだった。 『私が恋をするとしたら。その相手はガイアさん、あなたになると思います』 淡々とそう告げられたのは、いつのことだったか。もう随分と昔のことのように思える。 ――ひとの気も知らねえで、よく眠ってられるもんだ。 ふといたずら心に襲われ。ルフレが目覚めないことを確かめて、静かに寝息をたてる唇へ自らのそれを重ねた。 「…ん……」 寝息を塞がれて苦しくなったのだろう、流石に目覚める気配のルフレをガイアは解放してやった。 ぱちりと開いた紅玉の瞳がガイアを捉え、二度瞬いた。 その瞳にはじめは浮かんだ警戒の色が、ガイアをみとめてすぐに和らぎ、ほんの僅か笑みすら浮かべて。 ガイアは唐突に自らの敗北を確信した。 「ガイアさん」 「おう。起きたか」 「はい。すいません。私、待ちくたびれて寝ていたんですね」 「お前の緊張感のなさには呆れる」 「そんな。頭上は死角と計算しての行動ですよ」 「阿呆。俺には見つかってるだろうが」 「ガイアさんは、良いんですよ。味方なんだから」 「信頼してくれるのは有り難いが…」 別の意味で危ない、とは口にせずに。 「それに。よからぬ気配があれば起きます」 「………………ルフレ」 いや起きなかったぞ、とは流石に言えない。 「はい？」 「いや。なら、良いんだ」 「そうですか」 それで話は済んだと思ったのだろう。ルフレはすとんと、身を預けていた枝から地上に飛び降りた。 目の前をよぎって足元に消えた青銀の流れを目で追いながら、ガイアはくしゃりと前髪をかきあげた。 なんでこいつなんだ、とは、自身に問うても答えなどないことをガイアは知っている。 恋に落ちる瞬間は、幾度目だろうと変わりなく。ただ諸手を上げて全面降伏するしかない。 その、手に終えない感情に抵抗するだけ無駄だということを、どこか苦い気持ちで思い出した。 reflet side 目の前に置かれた、あたたかい湯気をあげる茶碗を手にとってガイアは不信げに匂いを嗅いだ。 「ルフレ…」 「はい。なんですか？ガイアさん」 茶を淹れた張本人はなに食わぬ笑顔でガイアを見ている。 「お前、茶のなかに何を入れた？」 「なにって…普通の香草茶ですけど」 ことりと首を傾げる様が愛らしい。 「ならお前、飲んでみろ」 ルフレの前に茶碗をつき出す。 「そんな。私がガイアさんのために心を込めて淹れたお茶ですよ？」 「ほぅ。自分では飲めないようなものを俺に出したわけか」 「……………」 「…………………」 「だって」 「ん？」 「見たことがないんですもの」 「なんのことだ」 見えない話にガイアが訝しげに問う。 「寝顔のはなしです」 むぅと、可愛らしくほほを膨らませてルフレが言う。 「………はぁ？」 「ガイアさん、いつも私よりも後に寝て、先に起きてしまうから。思えば一回も寝顔を見ていないなと、気づきまして」 うつむきがちにぼそぼそと説明するルフレの言葉をまとめると、先日スミアやティアモとのお茶会の席で、夫の寝顔が話題に上ったらしかった。 「気づいたら、どうしても見てみたくなって。でもガイアさん、ちっとも眠ってくださらないから…」 しゅんと肩を落として。小さな声で、ごめんなさい、と付け加えた。 「俺の寝顔なんか見ても楽しくもなんともないぞ？」 なにをそこまで思い詰めているのかがピンと来ない。 「だって、無防備なガイアさんの顔ですよ？油断しきった寝顔ですよ？？見てみたいに決まってます！」 力一杯言い切って、再び茶碗をガイアに突き出した。 「と、いうわけで。思いきって飲み干してください」 「おい」 「大丈夫です、副作用はないとのサーリャさんのお墨付きです」 ガイアのことをまっすぐに見つめる紅玉の瞳が期待にきらきらと輝いている。 「断る」 「………………」 「そんな目で見ても、嫌なものは嫌だ――だいいち…」 そこで不自然に言葉が途切れた。 「なんですか？」 ――無防備で油断しきった顔ならば、毎晩のように見られている。 とは、ガイアは口にできなかった。ならばと、つぶさに観察されても困るからだ。 なにか適当に誤魔化そうと口を開きかけて、ガイアはそこで違和感に気づいた。 唐突な睡魔に襲われて。 「ルフレ、この茶は…」 「ふふふ…油断しましたねガイアさん。このお茶は香りだけでも睡眠導入効果があるのです……ふぁぁ」 勝ち誇ったように宣言したルフレの語尾にあくびのおまけ。 「あ。私も、吸い込んじゃいました…ね…しっぱい、しまし…た……」 ふにゃふにゃとまだなにか言いかけて、ルフレはそのままテーブルに突っ伏した。 「……阿呆かこいつは」 心底あきれた口調でガイアが言った。 薬や毒に耐性のあるガイアでは、茶の香りぐらいでは睡魔を覚えても眠るには至らない。おそらく、ここ数日はガイアの寝顔見たさに常よりも長く起きていた――つまり睡眠不足のルフレには、てきめんに効いたようだが。 ルフレの頬に落ちかかる青銀の流れをそっとどけると、あどけない寝顔が覗いた。 「この顔を見ずに眠りこけてるなんて、勿体ない真似ができるかよ」 ルフレには申し訳ないが、当分寝顔は見せてやれそうにない。ガイアは自嘲の笑みを浮かべ、そう思った。
2013/9/29収納
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