『喧嘩した。』










「クロムの石あたま！」
「それはおまえの方だろう！」

　きっかけは、ごくごく些細なことだったように思う。
　目玉焼きにかけるのは塩かソースかとか、同時に襲われたら魔道士と戦士とどちらを先に叩くかとか、好きなのは朝日か夕日かとか。
　だがそのことごとくで逆の答えが出て、いつもならば ―― 特に戦場でならば呼吸一つで互いの意志を汲み取れる彼らは面白くないものを感じ、気づけばじゃれ合いでは済まないレベルの大喧嘩へと発展していたのだった。

　ルフレの形の良い唇から今日何度目かのため息がこぼれた。
「クロムの…ばか」
　呟かれた言葉の矛先はクロムに向けてのものだったが、彼女の本音としては『あたしの馬鹿』という気持ちも等分に含まれている。
　はぁぁぁぁ、と、魂もこぼれてしまいそうなほどの、深い、ため息。
　常に冷静なルフレのことだ、クロムの天幕を飛び出して自身の天幕へと戻る間にすっかりと頭は冷えていて、今はただ苦い後悔だけがある。
　頭は冷えても、自分から謝りに行けるか、というとそれはまた別の問題で。だからこそ尽きせぬため息が彼女の唇からこぼれ続けるのだった。

　にゃあ。

　ルフレしか居ない筈の天幕で彼女以外の声がして、ルフレはきょとりと辺りを見回した。
　彼女が視界の端に捉えたのは一匹の大柄な猫だった。
「どこから迷い込んだのかしら…」
　猫は、とことことルフレの前まで歩み寄るとそこにストンと腰を下ろした。
　珍しい濃紺の毛並みに、こちらを見上げてくる瞳は吸い込まれそうな空の青。ルフレは否応もなくある人物を思い起こす。
「なんだかあなた、クロムに似てるわ」
　ふふ、と楽しげに笑むルフレを見上げ、猫はひと声にゃあと鳴いた。
「なんか、猫にしては渋い声」
　ルフレがそっと耳の後ろを掻いてやるとごろごろと気持ち良さそうに喉を鳴らした。
　抱き上げても嫌がることもなく、膝の上でルフレの腕に身を任せている。
「ね。クロム…さっきは、言い過ぎてごめんね」
　本人を前にしては到底出てこない言葉を、猫に言ってみる。
　にゃあ。
　ルフレの言葉など分からないだろうに。猫はまた深い声で鳴いた。
「いつも、クロムとは気が合いすぎるほど合っちゃうから―― だから、腹が立っちゃって」
　みゃうん。
「……あたしどうして、あんなに腹が立ったのかしら」
　一人ひとり、人は違って当たり前。むしろ、違うからこそ面白く、違うからこそ、共に居ることが力に繋がる。
　それなのに、彼とだけは、同じだと。無意識にルフレは思っていた。
　だから、あんなに気に入らないと思ってしまった。
　―― ああ、そう、か…。
「クロムのことが……」
　ぼんやりと形を取らなかった気持ちを言葉に出してみて、はじめて自覚する。
「―― 好きよ」
　ルフレの言葉を聞いているのか、どうか。やけに毛並みの良い野良猫は、ルフレに撫でられるまま穏やかに目を閉じまるくなっていた。

　天幕の外で話し声がして、ルフレは何気なくそちらに耳を傾けた。声は、フレデリクとこの時間見回りを担当している団員の誰かのもののようだ。
　どうもフレデリクは先程からクロムを探しているらしく、団長の天幕にも、訓練場にも、居そうな場所にはどこにも姿が見えないらしい。見回りの団員が「軍師どのの天幕では」と言うと、フレデリクは曖昧に言葉を濁したようだった。確かに、あれほどの大喧嘩をやった後にルフレの天幕にクロムが居る筈もない。
　そのまま結局フレデリクはルフレの天幕を訪ねることはせず、話し声は遠ざかっていった。

　ルフレの顔から一気に血の気が引いていた。
　クロムと喧嘩をした時に。
　確か自分は、『その辺の野良猫にでも団長をやらせた方がマシよ』と言わなかっただろうか。それをサーリャがどこかで聞いていたとしたら ――
　サーリャならば、やりかねない。
「まさか ―― ほんとにクロム、なの？」
　にゃあ。とその猫はふたたび深い声で鳴いた。

　自警団の天幕郡のなかを、濃紺色の大柄な猫を抱いた軍師が急ぎ足で過ぎる。
　探しているのはもちろんサーリャだ。
「…クロム重たい」
　抱いた猫への不満を口にしつつ、ずんずん進むその歩みが急制動をかけたように停止した。
「あ」
　ルフレの視線の先に居たのは、この自警団の軍主、イーリス聖王国の王子クロムそのひとだった。
　ルフレと同じように腕には猫を抱いていたが、無理やりという体で小柄なその猫はじたばたと暴れまわっている。よく見ればクロムの腕や頬にはその猫にやられたのであろう引っかき傷があった。
「クロム ―― 大丈夫？」
　呆れたようにルフレが声をかければ、
「おまえが嫌がって逃げ回るからこんな……いや、おまえはここに居るのだから、この猫はただの猫なんだな」
　憮然とした声音でクロムが応じた。どうやら、クロムの方でもルフレと同じ勘違いが起きていたらしい。
　そこで、喧嘩中であったことを二人は同時に思い出し。気まずそうに押し黙った。
　しばしの沈黙。一秒、二秒 ――
「「あの――」」
　三秒目に同時に口を開き、気まずそうに二人して再び押し黙る。
「うぉっ」
　クロムの腕から身を捩りながら小柄な猫が飛び出して軽やかに地面に着地した。ルフレの腕からも濃紺の猫がするりと地面に降り立つ。クロムとルフレの中間地点で二匹の猫が対峙して、ちょん、と一度だけ互いに鼻をすり合わせた。
　二匹の猫は仲睦まじく並んでどこかに駆け去った。
「…………」
「…………」
　ふたたび、気まずい沈黙が落ちる。
　意を決したようにふたりが顔を上げたのは同時で、言葉を発したのも同時だった。
「ごめんなさい」
「すまなかった」
　そうしてクロムとルフレは、どちらからともなく笑いあったのだった。



　自身の気持ちをようやく自覚した軍主と軍師が、互いの気持ちを確かめ合うことになるのは、もう少し後のことになる。






--END--


Home


一日遅刻してピクシブに上げた猫の日話です。
クロムが猫になった…と見せかけてなってない。という。風に見えていれば成功なのですが。
猫好きです。もふもふしたのは大概好きですが。猫は飼っているので格別好きです。

2013/2/25