『寝顔』
満月の美しい夜だった。見張りの兵が地を踏む音だけがかすかに響く夜営地を足音もなく黒い影が渡った。 影が、ひとつの天幕の前で立ち止まる。月明かりに浮かび上がる白皙の美貌 ―― ルフレだった。 そこが目的の天幕であることを確かめて、するりと中に入り込んだ。 天幕の隙間からこぼれる月光に照らされた、年齢以上にあどけない寝顔を見つめ、ルフレはほっと、息を洩らした。 誘われるように濃紺の髪に手を伸ばしかけて、躊躇うように途中で止まる。 その手が、不意に引かれた。 「―――― っ！」 どきどきと心臓が早鐘を打つ。 寸前で悲鳴を飲み込むルフレの身体はバランスを崩して寝台に倒れこみ、一瞬後には天幕のあるじの腕の中にあった。 「クロム…？」 音をたてないよう気遣っていたのだが起こしてしまったらしい。諦めて、ルフレは恐る恐る声をかけた。 「どこに行っていた？」 寝起きとは思えない明瞭な声でクロムが言った。 「ええと」 「ルフレ」 強く名を呼ばれ、ルフレが観念する。 「…………近くに屍兵の気配があって」 「……」 「大した数じゃないし、と思って」 「……思って？」 「ひとりで、ちょっと、倒しに」 クロムの口から盛大な溜め息が漏れた。 「あの、クロム」 「なんだ？」 「どうして、分かったの？」 「身体が冷えきっている。僅だが血の臭いがする」 「―― ああ」 いささか寒い水浴びを我慢して返り血を流してきたのだが、まだ残り香があるらしい。 「それで、どうしたんだ？おまえに限ってまさか夜這いではないんだろうが…」 「―― そう。だって言ったら？」 「なっ！」 クロムの声を塞ぐようにして、ルフレの唇が重なった。 - - 塵へと還った屍兵の残骸からルフレに向かって流れ込むなにかに、右手の甲が痺れ疼いた。クロムの隣で戦っている時には一度も感じたことのない、高揚に、息が詰まるほどだった。 やはり傍に居てはいけないのかもしれないと。 あたまの真ん中にぽかりと浮かんだ思いを無意識に振り払った。 - - いつもはクロムがする手順を無意識になぞりながら、ルフレの繊手がクロムの上衣の胸元をくつろげ素肌を這う。ルフレの指先のひやりとした感触にクロムの眉根が寄った。 「―― っく。待て、ルフレ」 クロムの下腹を撫で、更に下へと進むルフレの腕をクロムが掴んで ―― 一瞬で身体の位置を入れ替えたクロムの顔をルフレはきょとりと見上げて、次いで、誘うように微笑んだ。 とろりと潤んだ蜜色の瞳の輝きに吸い寄せられるようにして、クロムが口づけを落とした。 ごとりと、重たげな長靴が床に放られる音。ばさりと、黒の外套が落ちる音。かちゃりと、ルフレの細い腰を締めるベルトの金具が外される、音。 ルフレの全身にキスの雨が降り、ルフレの唇から切なげな吐息が漏れる。 そうしてクロムに触れられるだけで、冷え切った身体にじんと熱が灯った。 わざと敏感な部分を避けて触れてゆくクロムの動きに、じれったくルフレは声を上げた。 「クロムっ、もっと ―― ！」 いつものように。彼らしい熱と性急さでもって、ただ追い上げて欲しかった。なにも考えず、疲れ果てて眠れるまで。 「だめだ」 思いのほか苛立たしげなクロムの声だった。 ルフレが大きな瞳を更に見開く。 「こんな状態のおまえを、そんな風に抱ける筈がないだろう」 そっと、優しくルフレの頬を両手で包み込んで上向かせる。間近でルフレを見つめるクロムの瞳に情欲の炎は微かで、優しげにルフレを映している。 ルフレの額に落ちかかる髪をかき上げて、そっとクロムが額に唇を落とした。 理性も思考もなにもかもを奪うように抱くのは簡単だった。 だがそれでは、ルフレの中に積もりゆく澱を払うことはできない。 ルフレは強い。そんなものぐらいでは揺るぎもしない強さを持っている。だが小さな軋みも積み重なれば大きな歪みを作るかもしれない。 なにより、ルフレをそんな状態に留めておくことはクロムの本意ではなかった。 ルフレが何を不安に思い、何に苦しんでいるのか。クロムには分かる気がしたが。 ―― 大丈夫だ、とクロムは口に出して言いはしなかった。 額の次は頬に、耳朶に、首筋をなぞって鎖骨に、順にキスを贈る。 ここに、クロムの腕の中にルフレは居るのだと。 愛している、ただそのことを伝えるために。 優しく労わるようにゆるゆると追い上げられ、甘い痺れがルフレの背骨を這い上がる。 ルフレが抱える不安や闇を押し流すのではなく、ひとつひとつを掬い上げて光をあててゆくように。 ゆっくりと、満たされてゆく。 優しくあたたかなもので満ちる。 ルフレの瞳からとめどなく溢れる涙をそっとクロムが唇で受けた。 「クロム ―― きて？」 うっとりと、蕩けきった声でルフレが言う。 たくしあげられたキャミソールが豊かな乳房の上、鎖骨の下にわだかまっている。ただでさえ短いスカートはいやらしくめくれ上がって、黒い布地から覗く太ももがやけに白く見えた。 普段は決して見られないルフレの媚態に軽い眩暈。 引きずられそうになる理性を押し留め、 「―― ああ」 努めて冷静に聴こえるよう応えを返して ―― 「っ……ぁ、ぁあ、んっ」 じわりと、クロムはルフレの中に己を沈めた。 無意識にすがりつくルフレの身体を抱き寄せて、あやすように穏やかに揺さぶってやる。強張っていたルフレの身体から力が抜けて、うっとりとため息が漏れた。 「……あ……っクロム。すき」 「ああ。俺もだ。愛している、ルフレ」 「もっと…クロムで…は、ぁ…いっぱいに、して？」 「―― 頼むから、そう、煽るな」 無茶苦茶に蹂躙してしまいそうになる。 焦れたように身体を揺らすルフレの、量感を持って揺れる乳房を愛撫しながら口づけて。弱いところを掠めるようになかで動くとルフレが一際高い声で啼いた。 軽く達したのだろう。ぼんやりとクロムを見つめる瞳はどこか焦点が定まらず、熱っぽく潤んでいた。 ルフレの視界で白い光が爆ぜた。その一瞬にルフレは白昼夢を視た。 血の色に染まる視界とひどい頭痛、深い絶望と沸き上がる歓喜、全てを塗りつぶすようにもたらされた闇 ―― 「あ、や、いや、嫌ぁっ」 「ルフレ！」 強く名を呼ばれ、一杯に開かれたルフレの瞳に焦点が戻る。 ―― クロム…生きてる？ ―― タッタ今ソノ手ニカケタ。 ―― ちがう。 ―― アタシガ殺シタ。 ―― ちがうわ。だってクロムはちゃんと目の前に… ありありと感触が残る右の手。 生気の失われた唇はそれでもルフレを労わるように笑みの形を刻んだ、その顔を覚えている。 息が、できなかった。 は、は、と浅く苦しげに繰り返す呼吸を掬い取るようにクロムが唇を合わせる。なだめるようにルフレの背を撫でながら、角度を変えて何度もキスをする。 ルフレの呼吸が整うのを待って舌を挿しいれると縋るように応じてきた。 くぐもった喘ぎと水音だけが響く。 とめどなく溢れる涙をクロムが指先でぬぐってやる。 優しく抽挿を再開すると、 「あ、ぁん、くろむっ」 ルフレの唇から甘い喘ぎがこぼれた。 「ルフレ」 縋りついてくる細い肢体を抱き寄せる。 「大丈夫だ。俺は死なない。おまえを一人きりで残したりしない」 クロムはルフレの耳元にそう囁きこむと、最奥を抉るように何度も突き上げた。 「あ、あ、あ、ぁ ―― っ」 びくびくとルフレの肢体が震え、内側がきつくクロムを絞り上げる。最奥で弾けた熱に、一際大きくルフレの身体が跳ねた。 「……眠ったか」 小さく寝息をたてるルフレの頬にクロムは優しく触れた。 わずかに残る涙のあとが痛々しい。 「惜しいことをした、か」 「ん……」 心地よさそうに漏れた吐息にクロムは苦笑を浮かべ、起こさないようにそっとルフレを抱き寄せると瞳を閉じた。
2013/1/25
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