『賢者の…』










等間隔に続く瓦の屋根。
異国の商店が建ち並ぶ一画を歩む漆黒の外套姿があった。目深に被られたフードの為にその顔はうかがい知れないが、小さな肩や外套から見える手足の華奢さから、女性であると思われた。
その歩みがとある店の前で止まる。
ぱさりと下ろされたフード。その動きに合わせて薄紅色の流れがさらさらと外套の背に落ちた。
まだ若い娘だ。
卵形の顔には二つの大きな瞳が鮮やかな緑柱石の輝きをたたえている。薄紅色の長い髪は頭の高い位置で二つに束ねられていた。

イーリス聖王国の軍師にして聖王代理妃、ルフレだった。

ルフレはなにか迷うように緑の瞳を数度瞬かせたが、決心するように吐息をつくと店の入り口の引き戸を開けた。



　　　◇◆◇



イーリス連合軍とヴァルム帝国との戦争がヴァルハルトの敗北という形で終わって。
戦後処理もあらかた目処がたち、一端イーリスへ戻る途上でクロムたちイーリス連合軍はサイリの故郷であるソンシンに立ち寄っていた。

兵達の休息、というのが表向きの目的だが。
こうでもしなければ、兄レンハの弔いを充分に成そうとしないサイリに時間を与えるために、クロムとルフレが話し合って決めた休暇だった。
ソンシン式の弔いでは正式には50日近くを要するがさすがにそこまでの日数は割けない。
７日間、それが彼らがソンシンに滞在すると決めた日数だった。

自警団の面々が思い思いの休暇を過ごすなか、クロムとルフレも一日だけ二人で異国の街を散策した。



「あ、あれはなんでしょうか。とっても美味しそうです」
ソンシンの中でも商店が集まった一画。
きょろきょろとあちこちの店を見回しながら少し先を行くルフレと、妻を愛しげに見つめながら歩くクロムの姿があった。
「ちゃんと前を向いて歩かんと、転ぶぞ？」
笑い混じりの声でそう言う。
「大丈夫ですよクロムさん！わたしは子供じゃありませんから！」
くるりと振り向くと、溢れんばかりの笑顔でそう言った。
ヴァルム帝国との厳しい戦況の中、常に気を張って軍師としての厳しい表情を崩さなかったルフレの久しぶりに見せた心からの笑顔にクロムの笑みも自然と深まる。
不意にクロムの表情が真顔に戻った。
「――っ、きゃあ！」
なにかに躓いたルフレがバランスを崩して小さな悲鳴が上がる頃には、二人の間の距離を一瞬で縮めたクロムが妻の身体を支えていた。
「だから気をつけろと言っただろう」
ルフレが一人でちゃんと立てたのを確認してから、彼女の細い腰に回していた腕を放した。
「すいません…」
しゅんと項垂れる薄紅色の頭をぽんとひとつ撫でてやる。
「おまえが無事ならそれで良い。が、危ないからあまり俺から離れるな」
「……はい。わかりました」
わたしは子供じゃありませんのに、と言いたいルフレだったが。転びかけた(クロムに支えられていなければ間違いなく後頭部を強打していた)身としては説得力がなさすぎると気づき、言うのを諦めた。
「あら？」
ルフレが不思議そうに声をあげた。
クロムの足下にしゃがみこむとキラリと光るなにかを拾って立ち上がった。
「これは…イーリスの金貨でしょうか」
「それは、俺のもののようだな」
上衣のポケットを探りながらクロムが言った。
「クロムさんも、へそくりですか？」
拾った金貨をクロムに返しながらルフレが訊ねた。
自警団の軍資金は全てルフレが管理している。必要なものが出てきたらルフレに図って買うための金を受け取っているクロムだったので、自分では銀貨一枚持っていないものと思い込んでいたルフレだった。
ささやかなへそくりをしているらしい他の自警団の面々に倣ってクロムもへそくりを始めたのかと、そう考えての言葉だった。
「いや。この金貨は使うためのものじゃないんだ」
「どういうことですか？」
「俺のお守り代わりみたいなものだ。昔、姉さんにもらった。『いつも頑張っているご褒美』に『好きなものでも買いなさい』と。だから俺は、この金貨で姉さんのために何か買おうと思っていたんだが…」
その機会は永遠に喪われた。
「そうでしたか…って、そんな大切なものを無造作にポケットに入れていたんですか？」
「む。悪いか」
「もっと失くさないように考えた方が良いと思いますよ…今だって、落としたままわたしが気づかなかったら…」
「問題ない。それより、あまり時間もないんだ。さっさと行くぞ」
クロムの手がルフレの腕を引く。
まだなにか言いたそうなルフレだったが、こうなってしまってはクロムが聞かないことも分かっているので大人しく後に続いた。



　　　◇◆◇



「もう、クロムさんなんて知りません！」

今まさに向かおうとしていた天幕から聞こえた彼らの母の(彼女にしては珍しい)叫び声に、ルキナとマークは顔を見合わせた。
すぐに天幕の入口から黒いフード姿が走り出て、二人に気づかずにそのままどこかに向かって行った。
「喧嘩…でしょうか」
ルフレの走り去った方角を目で追いながらマークが言うと、
「そのようですね」
困惑した声でルキナが続けた。
未来でも常に仲睦まじく、過去に来た今でも常に寄り添うようにして在る両親の喧嘩するところなど、思えば初めて目にするルキナだった。
弟の方を見やると、少し低い位置にある母譲りの緑色の双眸も困惑を浮かべて姉を見上げていた。
「ええと…ルキナさんは父さんに剣の稽古をつけてもらいに来ていたんですよね」
「はい。マークは、お母さまに新しい戦術を聞いてもらいたくて探していたのでしたね」
考えをまとめるようにトントンとこめかみを叩きながらマークが続ける。
「では。僕は母さんの後を追いますので、ルキナさんは父さんから話を聞いてください」
「え…ええ！？今お父さまからお話を伺う！？マーク、それは――」
「確かに『夫婦喧嘩は犬も食わない』とは言いますが。僕たちはわんこじゃなくて子供ですからね。そう、『子はかすがい』ですよルキナさん。それで行きましょう！」
良いことを思いついたというように胸の前でぱんと手を打つ。その仕草はどこかルフレに似ていた。
「それに戦争は終わったとはいえ、帝国の残党がどこに潜んでいるかも分かりません。母さんを一人にするのは心配です」
「そ、そうですね。では、マークはお母さまの後を追ってください」
「はい！ではルキナさんは父さんのことをお願いしますねー！」
言うが早いかばたばたと駆けていく弟の背を見送ったあと、なにか釈然としないものを感じて小首を傾げながら、クロムの天幕に向かうルキナだった。



　　　◇◆◇



「あの…お父さま？」
おずおずと天幕の入口から顔を覗かせて声をかけたルキナの方をクロムが振り向いた。
「ルキナか。どうかしたか？」
先程まで眉間に寄っていた皺を引っ込めて(ただし気配のささくれまでは隠せていない)優しい声音でクロムは言った。
クロムの優しい声にほっとした顔をしてルキナが天幕に入ってくる。
「あの。お父さま…」
言いよどむルキナの言葉の先をクロムが目で促す。
その様子に力を得てルキナが言葉を続けた。
「お母さまと、仲違いなさったのですか？」
「なんだ、見ていたのか…」
気まずそうに頭をかきながら言うクロム。
「はい、偶然。お父さまの天幕にマークと向かう途中で」
「それでマークはどうしたんだ？」
「お母さまの後を追っていきました」
「そうか」
「あ、あの。お父さま…」
おずおずとルキナが切りだす様子にクロムが苦笑する。
「喧嘩の理由か？」
「はい…いつも仲の良いお父さまとお母さまが喧嘩をなさるところを初めて見ましたので。少し、驚きました」
「大した理由ではないんだがな…」
どこか傷ついたような目でこちらを見る、理由を聞けるまでは梃子でも動きそうにない娘の様子にクロムは仕方なく語りだした。



　　　◇◆◇



街の裏側に広がる森の入口、その手前にある泉のほとりにルフレを見つけてマークはそちらに駆け寄った。
「いたいた、母さ〜ん！…あれ？」
近づくにつれてルフレの姿がいつもと違うことに気づき、マークはおやと首を傾げた。 途中から速度をゆるめると、マークは母の隣で立ち止まった。
フードを下ろして、泉に映る自分の姿を見つめていたルフレが顔を上げて、マークの方に向き直る。
マークよりも少しだけ高い目線。マークと同じ翡翠色の輝く瞳が涙に濡れている。
そして、マーク自身も大好きな柔らかく流れる薄紅色の髪の流れ――
「母さん、髪が――」
ルフレの髪は肩よりも上で無残にもばっさりと切り揃えられていた。
「マークも…おかしいと思いますか？」
今にも泣き出しそうな声音でルフレが言う。
唐突な質問にマークはきょとんと目を見開いた。
「ええと。その、髪が、喧嘩の原因ですか？」
そうマークに言われてルフレが再びしゅんと項垂れた。
また泣き出しそうなルフレの様子にマークが慌てて言葉をかけた。
「短い髪も似合ってますよ！ただ…見慣れない姿なのでびっくりしただけです」
「でも、クロムさんは…」
「父さんは、何て言ったんですか？」
「『不恰好』だって。『らしくない』って、言うんです。だからわたし、悲しくなって…」
クロムさんの役にたちたくて髪を切ったのに、と、小さな声でルフレは続けた。
「父さんのためと言うのは？」
つい口をついて出た言葉をマークに拾い上げられて、ルフレはしばし悩む素振りを見せたが、まぁマークになら話しても構わないですよね、と言うとかいつまんで事情を説明した。
ルフレの説明を聞き終わると、マークはうーんと唸りをあげた。
「つまり父さんにはただ気分転換のために髪を切ったと言ったわけですね。どうして本当のことを言わなかったんですか？」
「それは…お金が欲しくて髪を売ったなんて言いましたらクロムさんに呆れられると思いまして」
「それで、売り言葉に買い言葉になって喧嘩になったわけですか…もちろん、プレゼントは渡せていないわけですね」
「はい。困りました…」
そう言ってルフレははぁとため息を吐いた。
その肩がぴくんと跳ね上がる。
泉の向こう、森の中を見つめるその瞳は冷厳な軍師のものだった。
「マーク、分かりますか」
「はい。まだかなりの距離がありますが、森の中をこちらに向かってくる敵…15人、でしょうか」
「賢者をひとり見逃しましたか？ウォーリアーが七人、勇者が八人、賢者が一人、16人ですね」
淡々と森に注がれていた視線がマークの方に向き直った。 感情の廃された真剣な眼差しが息子に向けられる。
「おそらく、わたしたちの陣を迂回して直接街を襲うつもりでしょう。こちらは陽動で、本隊が別方向から攻めるつもりかもしれません。マーク、あなたは急いでクロムさんの天幕まで走ってこのことを知らせてください」
「母さんは…」
「ここで敵を食い止めます」
外套の脇に提げていた高位の雷の魔道書を手に取ると静かにそう言った。
気負うでも、怖じけるでもない。ただ淡々と自分にできる役目を成すものの声だった。



　　　◇◆◇



見張りの兵――ヴァルハルトを慕う帝国の残党の奇襲を警戒して、戦争が終わった今もルフレが厳重に配備していた――の敵襲を報せる警笛の響きが陣中を駆け巡るのと、息を切らせたマークがクロムの天幕に駆け込んでくるのが同時だった。
「――っ父さん、正面からだけじゃ、なくっ、はぁ……街の裏手の森からも、来ま、す…」
それだけを言うのが精一杯だったようで、膝に両手をつくと必死に息を整えている
「ルフレは、どうした」
警笛の音が鳴り響いた時点でクロムの顔は峻厳な軍人のそれになっている。低く、よく通る声がそう問うた。
「母さんは、一人で敵を食い止めると…」
マークが言い終わる前にクロムは大股でマークの隣を通り抜け、天幕の入口で振り返るとこう言った。
「ルキナとマークはフレデリクの補佐を」
「え…はいっ」
「はい。父さんは…って行っちゃいましたね」
既にクロムの姿はなかった。
姉弟は一瞬だけ視線を合わせると、天幕の外へと駆け出した。



　　　◇◆◇



立ち並ぶ木々の為に通る道が限定されたためだろう。固まって森を移動してきた敵の一団が森の出口にさしかかる直前――ルフレに気づく直前に、ルフレは特大の雷撃を敵の中心に落とした。
短く切り揃えられた薄紅色の髪が魔力の放出に合わせてふわりと舞う。
敵が浮き足立つのが分かる。

ルフレの眉根が微かに寄せられた。
敵陣の焦りが静まっていく。微かに視える癒しの光。一人だけ居た賢者、彼が浮き足立つ仲間を纏めているのだろう。
その賢者をめがけて雷撃を放つ。しかし、賢者は倒れない。ルフレが放ったのと同じ強さの雷撃がルフレの放ったそれを相殺したのだった。

――これは、一人で防ぐのは苦しいかもしれませんね。

ルフレが最初に放った雷撃の直撃を受けて戦闘不能に陥ったのは、七人。起き上がれない程のダメージを受けた者も同数居たが、後方に居た賢者によって癒されている。
再びの雷撃を警戒して敵はお互いの距離を開けてこちらを伺っている。
魔道書の力を引き出そうと集中すれば、一斉に襲いかかってくるだろう。
一人二人は倒せても、全員を一度には無理だった。
ルフレは唇をぎゅっと引き結び、街を背にして立っていた。
一人として、通すつもりはなかった。戦う力を持たぬ人々を誰一人、傷つけることは許さない、そう、思った。

しばらくにらみ合いが続いた。
業を煮やした敵方が、森から出てくるのをルフレは待った。
敵方にまとめ役が居たのが幸いした。
敵兵は一斉には出てこずにまずは二人、木々の狭間から躍り出た。相討ちを避けて、多人数で襲わせなかったのだと思われた。
定石通りに敵が策を立てているとしたら、二人を向かわせて、ルフレがその相手をしている隙に残りを街へ向かわせるだろう。目的は街に火をかけてイーリス連合軍を浮き足立たせること。火の手を合図に本隊が襲いかかる。そんなところだろう。
物見の兵はかなり手厚く配備してある。おそらく敵の想定よりもかなり早く、臨戦態勢を取れている筈だ。

――あとは、わたしがここを守りきれば

ふたり同時に襲いかかってきた剣撃を、紙一重で避ける。
雷撃が一人をほふり、もう一人の返す刃をルフレの魔道書が受けた。丈夫な装丁の、魔力によって保護された表紙がみしりと音を立てる。
目の前に立つ男ににこりと笑いかけると、ルフレは手に持つ魔道書をぱっと手放した。

「――なっ」

バランスを崩してよろめく男の無防備な胴をルフレの抜き打ちの刃が襲った。
倒れ伏した敵には目もくれず、魔道書を拾い上げて駆ける。
街へ向かおうとしていた一団に鋭い雷撃を放った。
ぱっと散開した敵の中心で直撃を受けた一人が倒れ伏していた。

――あと、五人です。

ルフレの息はかなり上がっている。流れ落ちる汗に前髪が額に貼り付くが、汗を拭う余裕も前髪をかき上げる余裕も今はなかった。
再び街を背にすると、ルフレは敵と対峙した。
ルフレを囲むように四人、その背後に賢者が居る。
中途半端な雷撃を放てば賢者に相殺されるだろうし、威力を上げるためにはより深く魔道書の力を引き出さねばならず時間がかかる。
しかし、剣に持ち替えて五人を相手にして勝ちを見いだせるかどうかといえば。賭けに近い選択だったが。
ルフレは剣を抜き放った。
上気した頬を汗が一筋伝って落ちた。
賢者が牽制の為に放った雷撃を避けたところに勇者二人が同時に襲いかかる。バランスを崩しながら交差する剣撃を避ける。薄く刃の掠めた左腕に痛みが走るのも構わずに、ルフレは剣を構え直すと目前に迫る敵に体重を乗せた刃を突き立てた。
背後に迫る殺気に剣を引き抜こうとするが、固く食い込んで抜けない。
「――――っ！」
避けるだけの時間は最早ない。ルフレは斬られることを覚悟して身を硬くした。

「ぐぁっ！」
悲鳴と、血飛沫。

ルフレの前に彼女を庇うようにして立つ長身。
風を受けて濃紺の髪とマントがなびく。

「クロムさん…」
「無事か、ルフレ」
振り向かずクロムは言った。
「はいっ！」
「少し、待っていろ」
言い終えるが早いかクロムの姿がルフレの視界から一瞬消えた。
一息に敵との距離を詰め、切り結ぶ間も与えられずに敵が倒れ伏す。
数瞬の間に、そこに立っている者はクロムとルフレだけになった。



　　　◇◆◇



ファルシオンを丁寧に拭ってから鞘に収めたクロムの後ろ姿にルフレが声をかけた。
「クロムさん、ありがとうございました」
くるりと振り向いたクロムが大股でルフレの方に歩み寄ってくる。
その明らかに怒りを含んだ形相にルフレはじりじりと後ずさったが、すぐに追い付いたクロムに腕を捕まれてそれ以上は後退できなくなった。
深い輝きを放つ青い瞳が緑の瞳を見下ろした。
「お前は、どうして、無茶をするんだ」
決して声を荒げず静かな声音でゆっくりと言われた分だけ凄みがあった。
「すいません…」
でもこれが最良の策だったんです、と言うと更に怒られるのでルフレは言わない。
クロムは無言でルフレの左腕を取った。
まだ血の滲む傷口を淡々と手当てしていく。
「ありがとうございます――あっ」
にこりと笑んで礼を言うルフレをクロムが抱き寄せた。
傷に障らないようにそっと抱き締める。右手で優しく髪をすいた。
すっかり短くなってしまった妻の髪を撫でながら、かすかな声音でクロムは言った。
「さっきは、すまなかったな」
「いえ…わたしの方こそ。クロムさんに何の相談もせずに髪を切ってしまって…」
「いや。俺が狭量だった。お前は確かに俺の妻だが俺に縛られる必要などないのにな」
「そんな…」
そこでふと、ルフレはクロムの上衣からなにかが見えているのに気づいた。
「あの。クロムさん、服から何か出てますよ。何ですか、これ…？」
「…目ざといな。これは…お前への贈り物だ。街に行ったとき、装飾品を欲しがってただろう」
「え。わたしに…？」
「ああ。本当は、もう一度お前の髪が伸びるまで渡すのは待とうと思っていたんだが」
ルフレを離すと、クロムは長方形のリボンのかかった箱を取り出した。
「開けてみろ」
そう言って、ルフレに手渡す。
「――――あ」
箱の包みを開けたルフレが小さく声を漏らした。
そこには銀細工の簪が収まっていた。
幾重にも花弁を広げた銀細工の花弁の中心には深い青色の石が据えられている。
一日だけルフレがクロムとソンシンの街を散策したときに彼女がその細工の美しさにうっとりと見とれた品だった。確か、金貨一枚の値はして。手の出ない贅沢品と、ため息とともに見つめた。
ルフレは悲しげに、短くなってしまった自分の髪に触れた。
髪を切った自分を見たときのクロムが浮かべた複雑な表情の理由も、これで分かった。
「髪なんて…すぐに伸びますから。それまでは、大切に仕舞っておきますね」
銀細工の簪を大切に胸に抱いて、そう言った。
その顔がぱっと上がってクロムを見上げた。
「わたしもクロムさんに贈り物があるんですよ」
ルフレが外套から小ぶりの箱を取り出してクロムに渡す。
「俺に…？」
小さな箱を受け取ると、クロムは中身を確かめた。
「これは…守り袋か？」
そこには小さな守り袋が入っていた。
青く染めた革細工に銀細工の留め金が付いており、銀鎖と革紐を絡ませた紐で首から下げられるようになっている。
「はい。エメリナ様からいただいた大切な金貨、ここに入れて首から下げておけば無くさないと思いまして」
そう言われて、クロムはなんとも言えない表情を浮かべた。
「クロムさん…？」
「あの金貨は、使ってしまった」
「え…まさか」
そう言ってルフレは手の中にある簪を見下ろす。
「そうだ。大切なひとへの贈り物なら姉さんも納得してくれるだろうと思って、な」
今度はルフレの方がなんともいえない笑みを浮かべる。
「クロムさん。この髪、売ってお金に変えたんです」
「ルフレ…？」
「クロムさんにその御守り袋を買ってあげたくて。街の髪結いのお店に売ってしまったんです」
クロムもルフレも軍の資金を動かせる立場に居るが。軍資金に手をつけることなど論外で、だが伴侶に贈る品を買い求める資金を欲したとき。
それぞれの大切なものを手放す結果になったのだった。
「…ふ、ははははは」
「ふふふ…」
クロムが笑いだしたのにつられてルフレも笑い声をもらす。
「俺たちは何をやっているんだろうな」
「はい。本当に…」
「この守り袋、大切に使わせてもらう」
「え。でも…」
「中が空でもここにはお前の想いが詰まっているからな」
「ありがとうございます…」
柔らかく微笑むルフレの頬にクロムがそっと右手を添える。

二人はそっと口づけを交わした。



　　　◇◆◇



「あ、もう戦いは終わったみたいですよ、ルキナさん」
「そうですね…お二人とも無事で良かったです」
「あの様子だと仲直りも済んだみたいですね〜。母さんちゃんと、プレゼントを渡せたでしょうか…」
「え。お母さまもプレゼントが？お父さまもプレゼントを渡すとおっしゃっていましたよ」
「よし、ルキナさん。情報交換といきましょう。父さんと母さんはしばらく二人きりにしてあげた方がよさそうですし」
二人は仲良く視線を交わすとくるりと方向転換した。






--END--


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お盆企画リクエスト小説。ユイ様からのリクエストで『クロルフ♀(わたしルフレ)で、キラキラマスでの会話(クロム様のポケットから贈り物がはみ出していたやつ)の話』でした。 リクエストしてくださったユイさん、ありがとうございました！

2012/9/8収納