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『てんきあめ』 その日は天気雨だった。 ゆらゆらとけぶる青空に、鮮やかに虹がかかっていた。 ぽかぽかとあたたかな陽気はそのままに降る雨が、柔らかく地面を湿らせる。この程度の雨ならばと、訓練を続ける団員たちの脇をルフレが足早に通り抜ける。 素早く辺りに走らせていた視線が、見慣れた金髪頭を捉えて、止まった。迷いなくそちらへ歩を進める。 「ねえ。ヴェイク、クロムを見なかった？」 熱心に手元を見やっていたヴェイクが顔を上げ、ルフレを見上げながら口を開く。 「クロム？そういや今日はまだ会ってねえな」 さては、俺との訓練から逃げやがったか、と、愛用の斧を研ぎながら続けた。 「昨日は相当追い詰めてやったからな。あの野郎きっと俺様に無様に負けるの怖さに……おぉいルフレっ、聞けよ！」 慌てて呼ばわったヴェイクの視線の先で、ルフレは回廊の角を曲がるところだった。 「この時間にルフレさんが武器庫にいらっしゃるのは珍しいですね。なにか、入り用のものがありましたか？」 武器類の点検の手を止めて、きびきびとフレデリクが言った。 午前中に団内をまわり、午後――というか意識を失うようにして眠りにつくまでは、自室で調べものや机上の業務をこなすことが多いルフレに対する疑問である。 「ううん、違うの。フレデリク、クロムを見なかった？」 「クロム様、ですか。そういえば朝食の席で顔を合わせてからお見かけしていませんね」 「そう。ありがとう」 「この時間帯ですと、訓練場でヴェイクさんと試合っておられることが多いようですが」 「うん。ありがとう。もう少し探してみるわ」 これまで余り目にしたことのないルフレの落胆した様子に、フレデリクがおや、という顔になり。ついで微かに笑みを浮かべた。 「私も、クロム様をお見かけしたらルフレさんのことをお伝えしておきます」 ルフレはもう一度「ありがとう」と告げると、武器庫を後にした。 「おや。珍しいねルフレくん。君が午後のお茶の席に顔を出すなど」 爽やかな――と自認する――笑みを浮かべ、ヴィオールはさらりと前髪をかきあげて。貴族的に歓迎するよ、といつもの決まり文句を口にした。 「気持ちは嬉しいんだけど、急いでいるの」 「おや。相変わらずつれないことだね」 それでも常のルフレならば、二言三言、他愛ない応酬を楽しむ余裕も見せるのだが。今日は余程の急ぎの案件でもあるものか。と、ヴィオールが抱いた疑問の答えはすぐに得られた。 「クロム、見なかった？」 興味深げに眉を上げる。 「これは、これは。ようやくと言おうか、今更と言おうか」 「……言ってくれるわね。というか、あたしはクロムの居場所を知りたいだけで。それ以上の情報を開示する気はないし、した覚えもないんだけど」 「聞かなくとも分かることがあることぐらい、ルフレくんならば良く知っていると思うがね。まあ、よかろう。クロムくんの居場所が知りたいのだね」 「そう、さっきから言ってるつもりなんだけど」 ついと、ヴィオールが優雅にカップを傾けて、香りを楽しみながらハーブティーを口にした。 「今日は一度も見かけていないよ」 はあ、と息をつきルフレが踵を返そうとしたところに、絶妙のタイミングでヴィオールが声をかける。 「今更焦ることもあるまい。少し休憩してはどうかね。私が手ずから摘んだ野草のハーブティを飲める機会などそうそうないよ」 「よだれかけに聞いたあたしが馬鹿だったわ……」 「ルフレくん、言うにことかいてそれはあまりにも。ちょちょっ、待ちたまえっ。話はまだ――」 慌てるヴィオールに一瞥も与えることなく、ルフレはさっさと踵を返し歩み去った。 ふたたび訓練場を抜け、厩、食堂、兵士たちの宿舎と順に巡ったが、やはりクロムの姿は見当たらない。 もう一度訓練場に戻ってみようか、と方向転換したところで、自室から出てきたガイアとかち合った。 「どうした。珍しい場所に居るな」 驚きを呼吸ひとつで落ち着けて、ルフレは今日何度も口にした問いを再び形にした。 「ガイア。クロムを見なかった？」 「クロム……の今の居場所は分からんが、四半刻前までの動向でも聞くか？」 「――よろしく」 ルフレの出す難題に不平を述べながらも、仕事は完璧以上にこなす彼のこと。自警団内の人々の動き程度ならば、鼻歌混じりに把握できているのだろう。 ――平常時のルフレならば、それに近いことは、可能な筈だが。 「今朝は珍しく“みんなの部屋”に顔を出して、図書室、食堂、武器庫を見回ってから訓練場を素通りしたところまでは知っている」 普段のクロムらしからぬ動きに、ルフレの眉間にうっすら皺が寄る。 「つまり、今の居場所は」 「全く予想がつかん」 がくりと、明らかな落胆とともに肩を落とすルフレのことを、珍しいものでも見るようにガイアが眺める。苦笑とも、呆れともつかない笑みが口元に浮かんでいた。 「探し人の部屋で待つと良いわ」 存外に近い背後から聞こえた陰気な声音に、ルフレは悲鳴を辛うじて飲み込んだ。 振り向く。予想通りの相手がそこには居た。 「サーリャ」 「珍しいわね。ルフレが私の気配に気づかないなんて」 うふふ、と。これまでで一番ルフレに接近できたことに――触れ合わんばかりの近さに――満足気な笑みを浮かべ、サーリャが言う。うっとりと、視線を絡める。 「そんな貴女も素敵だけれど。いつものルフレも勿論、好きよ」 「ありがと。私も、サーリャのそういうとこ、気に入ってるわ。じゃなくて、部屋で待つと良い？」 「そう。探し人の部屋で待つと、良いわ」 淡々と、事実を告げる口調でそう言った。サーリャにとって、占いの結果は自明であり事実と大差ないものなのだから、当然ともいえる。 「クロムの……部屋？」 「そう。それが、一番の近道よ」 「わかった。行ってみるわ」 欠片の疑いも見せずサーリャの言葉を受け容れて。ルフレは礼を言い足早にクロムの部屋へと向かった。 その背を見送るサーリャに、ガイアが話しかける。 「よかったのかい？あんたの大事なルフレなんだろ」 面白がるような口調だ。 「良いのよ。大切な、私のルフレが、あんな顔をしているなんて、耐えられないわ」 はあ、と、かたちの良い唇がため息をもらす。切なげな、悲しげなその表情は、ちっとも良さそうには見えなかった。 身分の別なく皆を平等に扱うことを則とする自警団では、団長であるクロムの部屋も、他の団員の居室と同じ並びにある。幾度か訪れたことのあるその部屋の扉をルフレはためらいがちにノックした。 返事は、ない。 そっとノブに触れまわす。簡単に扉は開いた。 探し人の部屋で待て、というサーリャの言葉に従って。するりと室内に身を滑り込ませた。 静かに扉を閉める。予想通りに中は無人だった。 思わずため息が漏れる。クロムの部屋は日向の匂いがした。 こらえていた感情があふれ出す。涙がこぼれた。 クロムが、好きだ。どうしようもなく、好きだ。 「すき」 口に出してみる。 本人がそこに居なければ、こんなにも簡単に口にできるというのに。 伝えることのなんと難しいことか。……いや、伝えても良いものなのだろうか。得体の知れぬ、自分自身ですら正体が分からないような、怪しい身分の女が。一国の王子を想うことは許されるのか。ぐるぐると、不毛なまま思考が巡る。 今日何度目かも分からぬため息が、ルフレの口をついて出た。 「部屋にも戻らんと思ったら俺の部屋で寝ているとか……反則だろう」 彼が滅多に使うことのない机に突っ伏して穏やかな寝息を立てている相棒を、呆れ顔でクロムは見下ろした。 声音は苦いが口元はゆるんでいる。 “みんなの部屋”にはじまって、図書室、食堂、武器庫を見回ってから訓練場を素通り――ヴェイクに見つかると五月蝿いことは分かりきっていたので慎重に――し、ふたたび図書室に戻ってから、ルフレの部屋で待つことしばし。痺れを切らして自室に戻ってきた彼である。 今日一日探し回っていた相手にようやく会えた安堵からの笑みが、ひとつ。もうひとつは。 ――ルフレが、愛しい。とんでもなく愛おしい。 その気持ちが抑えきれないから、どうしても口元がゆるむのだった。 今日こそ、確かめなければならなかった。 ここ数週間、心にかかっていたことだ。クロムと会っている時にだけ、何故、あんな顔をするのか。 苦しいような、哀しみをこらえるような。そんなルフレの顔しかここ最近、目にしていないような気がする。 ――俺を疎ましく思っているのか。 ルフレの、こぼれるような笑顔を、なによりも愛おしく思うのに。それが、見られない。 自然、クロムの眉間には皺が寄る。それを見て、ルフレの表情は更に憂いに沈む。 そんな堂々巡りの泥沼現象には全く気づかずに。 ――この戦いが終わったら、俺のもとを去るつもりなのか。 クロムの思考も泥沼に沈む。不毛だった。 聞いてみなければ、分からんことだ。ようやくそう結論づけて。 気持ち良さそうに眠るルフレを――惜しいが――起こすべく、手を伸ばしかけて。 不意に開いた琥珀色の瞳と真正面から視線がかち合った。不意を突かれた無防備な、互いの顔にしばし見入る。 ――嫌いなら、疎ましく思っているなら。 ――嫌いならば、避けているならば。 安堵と、信頼と、あふれ出る愛おしさが込められた。こんな顔は、しない。する筈がない。できる筈がない。そう確信できるぐらいには、彼らは分かり合っていた。半身と、呼べるほどに。 だから、同時に、声が出た。 「あ」 「あ」 そして、お互いの間抜け顔にしばし笑い転げたのだった。
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2014/4/7
二万ヒットお礼リクエスト企画のその２、です。 更新が遅くなり申し訳もなく…… |