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『神剣闘技』
この世にふたつとない筈の神剣が、ぶつかり合った。 力で押し合えば圧倒的にクロムが有利であることはルキナにも分かっているのだろう。器用に刃を滑らせながら間合いを取り、クロムの死角へ回ろうと駆ける。クロムも素早く身体の位置を変え、先ほどとは逆の立ち位置で再び相対した。 「たぁあっ！」 再び、ルキナが先に打ち込む。様々な角度から乱打される剣戟はさながら舞いのようでありながら、一撃一撃に必殺の意志が込められている。 剣筋を捉えることすら困難な早業に、クロムの剣が防戦のかたちに変わる。 ルフレとマークは未だ、互いの呼吸を推し量りながら相対していた。 同位の魔道書を用いた場合、力を引き出すまでの時は、術者の思考の早さに律速される。ルフレとマークでは、ルフレの方が数瞬早く魔法を放てることになる。 だが、二人には剣という手段もあるのだ。純粋に剣をもって闘えば、同種の剣を遣うふたりだ、体格に勝るマークの方に分がありそうだ。 問題はいまの間合いだった。マークの切っ先が届くのが先か、ルフレの魔法が完成するのが先か。読みきれない絶妙の間合いをとって、ふたりは対峙していた。 業を煮やしたのか。先に動いたのはマークだった。その手には、雷の魔道書。 応えるようにルフレも魔道書を構える。 やはり数瞬早く、ルフレの周囲に魔法陣が展開され、マークに向けて雷撃が疾った。 それを読んでいたようにマークが横に飛び、紙一重で雷撃を避けた後、彼の手からも雷撃が放たれた。 「っ ―― しまっ…！」 ルフレの、叫び。 マークの放った雷撃はルフレの脇を逸れ、その背後 ―― クロムの背中をまっすぐに狙い迸った。 「クロムっ！」 雷撃のもたらす轟音とまばゆい光が辺りを染めた。 ◇◆◇ 丘を越えた先で、研ぎ澄まされた刀身のような黒い影と、風になびく桃色の流れを目にして。自然、クロムとルフレは笑みを浮かべた。 フェリア側から迎えとして寄越された、ロンクーとオリヴィエの姿だった。 護衛たちを背後に残し、歩み寄る。 ロンクーの視線がクロム、次いでルフレへと移る。彼らがともに闘った日々に似た、戦闘に適した衣服を纏っているのを確認し ―― それは、馬車ではなく騎馬や徒歩での移動を好む聖王夫妻の性格によるものであったのだが ―― 微かに頷く。 「……知っているなら、いい」 ぽつりと言われた言葉に、ロンクーの隣に立つオリヴィエが、え？、と疑問を顔に浮かべて夫を見上げた。 「―― やっぱり、そうなのね。それで、相手は？」 「バジーリオがどこからか、ルキナとマークを連れてきた」 「じゃあ、二対二で」 「そのつもりのようだ」 ロンクーの淡々とした言葉に、ルフレは呆れかえった笑みを浮かべた。 「なんていうか。いっそ見事な心意気ね」 クロムの大きな手がルフレの肩に触れ、ルフレは夫の顔を見た。 「すまん。俺にも分かるように話してくれないか」 困惑を浮かべた空色の瞳を、煌く琥珀が楽しげに見つめ返す。 「クロム」 「なんだ」 「親としての意地ってやつを、子供たちに見せ付けてやりましょう」 そう言ったルフレの表情は、以前戦場でクロムが幾度も目にした『軍師』の顔に戻っていた。 闘技場で彼らを迎えたのは、にやにや笑いを浮かべたバジーリオとフラヴィア、そして困惑を顔に貼り付けたルキナと苦笑を浮かべるマークだった。 ルキナが、バジーリオを見上げ話しかけた。 「お父様とお母様がいらっしゃいました。バジーリオ様、説明を、お願いします」 「……なんとなく予想はつきますけど。どうして僕たちをフェリアに連行してきたんですか？」 「ん〜？そりゃあ、お前らの方に勝ちの目があると思ったからに決まってるだろうが」 「は？」 「それは、光栄なのですが……」 くつくつと、マークが笑う。 「ルキナさんには伝わっていないようですよ ―― 父さんにも」 ぽかんと、ルキナとそっくり同じ困惑顔を顔に貼り付けたクロムを示し言う。 「お前ら相変わらずだなぁ」 「まあ、その呆れかえるくらいの真っ直ぐさが良いんだけどねぇ」 フラヴィアが同意するように後をひきとる。 「よし。立ち話もなんだ、場所を変えるぜ」 に、と剛毅な笑みをバジーリオは浮かべ、 「今日はもう、あとは休むだけなんだ。―― 呑むぞ」 心底嬉しそうにそう言った。 フェリア連合王国にて、東西の統合王を決する闘技大会が開催される。 その、二日前のことだった。 イーリスで好んで飲まれているのは果実系の酒だ。対するフェリアでは、口に含むだけでやけつくようなキツい蒸留酒を皆好む。 その違いには、温暖なイーリスと、冬には雪に埋もれる極寒のフェリアとの、気候の違いが大きく関係しているのだが。 単純に、底なしの飲兵衛が揃った国だからに違いない。とはルフレの言だった。 ストレートのまま注がれた麦の蒸留酒を、クロムは試すようにちびりと舐め、顔をしかめつつ口を開いた。 「しかし、明後日が試合だなど、急ぎすぎだろう。日々の鍛錬を欠かしてはいないが。あらかじめ断っておいてくれれば……」 クロムの言葉にバジーリオとフラヴィアが同時ににやりと笑う。 こう言った時点で、断るつもりがないことがフェリアの二王には分かってしまうのだと、クロムは全く気づいていない。 「それは僕たちだって同じですよ！」 割って入ったのはマークだ。 「こうなることが分かっていれば、時間をかけて策を練ったのに……ルキナさん。あとで話があります」 「はい、マーク。必ず勝ちましょう」 真剣な顔で同意したルキナの頬は既にほんのりと、薄紅の色に染まっている。 「いい心がけだ。西側の訓練場は、好きなように使え。明日はうちの人間を相手に模擬戦でもやりゃあいい」 上機嫌でバジーリオはそう言った。 「そうは言うがねえ、クロム。聖王と王妃を戦士として借り受けたいなんて、どうイーリス側に持ちかけろって言うんだい」 「不意打ちよりはマシだと思うわよ、フラヴィア」 ため息混じりに合いの手を挟み、ルフレはグラスを空けた。 空いたグラスにオリヴィエがそっと酌をするのに、ありがとう、と笑顔で返す。 「あんたにとっては織り込み済みの事態じゃないのかい、ルフレ」 「違ぇねえ」 「―― かもしれない、とは、思ったけど……まさか本当にやらかしてくれるとは思わなかったわ」 「お。なら、希代の軍師の不意をつけたわけか。こりゃあいい」 豪快に笑い、バジーリオがグラスを一息にあおる。 「かれこれ五年以上も待ったんだよ、あたしたちは」 打って変わって低めた声音で、唸るようにフラヴィアが言った。 「その点だけは、俺も同意だ。イーリスが落ち着いたと思ったら、ルフレが出産 ―― お前らの準備が整うまで、遺憾ながらコイツに玉座を任せていた、俺の忸怩たる気持ちも少しは慮れ」 「ぼんくらが居座るよりはマシだよ」 「ああん？これからの俺の治世を見てから言うんだな」 「安心しな。これからまた何年か、統合王の椅子にはあたしが座ることになるんだからね」 「ま、吠えてられるのも今のうちだがな」 「なんだって！」 「やる気か？」 完全にじゃれ合いはじめた二王を前に、 「…………そうなのか？」 自分たちのせいで、闘技大会が延期されていたと知ったクロムが難しい顔をしている。 もしやここは、謝るべきところなのだろうかと。一瞬クロムは考えたが、妻の目を見ると“放っておきなさい”と言っているのが分かったので、やめた。 「おまえらは、ほんと変わらんなぁ」 目線だけで交わしたやり取りを、バジーリオが見咎めて、茶化す。 「バジーリオとフラヴィアほどじゃないわよ」 苦笑混じりに返すルフレの表情に、一瞬だけよぎった寂しげな彩に。バジーリオは目ざとく気づき、眉をひそめた。 ◇◆◇ 辺りを埋めた白光がすぐに晴れ、その先に観衆が見たのは、なにかを断ち切るように振り下ろした神剣を再び構え直したクロムの姿だった。 返す刀でルキナを薙ぐが、間一髪で正気に返った ―― それは、余りに衝撃的な光景だったので ―― ルキナが正面に構えた裏剣でそれを受け止めた。 ぎりぎりと、押し合う。 「魔法を“斬る”とか……反則じゃないですか？」 呆然と、マークが呻く。 「これも策の内……よ」 まさかこんなに上手くいくとは思わなかったけど。と、ルフレは心の内だけで付け加えた。 ルキナはクロムが、マークはルフレが相手をする。恐らく子供たちもそう組みたがる筈だ、というのがルフレの予想だったが。万が一逆に組む事になった場合の対策として。 ルフレはクロムに魔防の薬をつかい、ファルシオンの刀身にもふりかけた。 ルフレの魔法をクロムが断つことを幾度か練習してみたが、ああも完璧なかたちでは、一度も成功しなかったというのに。 ―― 本番に滅法強いタイプよね。クロムって。 一人ごちてから、ルフレは魔道書を構え直した。 「さあ、仕切り直しといきましょうか」 凛然たる声音でそう告げた。 盛大な金属音が響き、ルキナがマークの傍らに弾き飛ばされた。くるりと、空中で弧を描いて、ルキナが綺麗に着地する。一瞬だけ、交わす視線。 再びルフレと相対したマークの手には ―― ルキナのファルシオンが握られていた。 軽く目を瞠るルフレに、にこりと笑んでマークが言う。 「僕にもこの剣は使えるんですよ ―― はじめて言うような気はしますが」 静かに。ルフレが剣へと獲物を変えた。 「さあ、仕切り直しといきましょうか」 先ほどのルフレと同じ台詞を同じように凛然と、マークが口にした。 「マークに特訓してもらった成果をようやく生かせる機会が来たようです！」 ルキナが携えた雷の魔道書を目にして、クロムが愕然と固まる。 神剣に施した“魔防の薬”の効用は一度きり。再び魔法を斬ることはできない。 「あ。ルキナさん ――」 マークが何か言いかけたのと、ルキナが魔道書との同調を始めたのとが同時だった。 「きゃっ」 未だ、背中合わせに立っていたマークのすぐ後ろでルキナの小さな悲鳴が上がり。 辺りは再びの白光に埋め尽くされた。 ―― ルキナさんはあくまでも牽制役。魔道書を構え父さんを引きつけてください。 二人して作戦を練った時、マークは固くそう言い渡したのだった。 マークの持つ魔道書は、初心者のルキナが扱うには、高等すぎるから。 唐突についた決着に、ルフレはクロムと視線を見交わし苦笑を浮かべた。 試合終了の合図とともに、駆けつけた救護班がルキナとマークを運んでゆく。 幸い、ルキナ自身の魔力がそう高くはないため、二人の傷は浅そうだった。 「なんか、釈然としない勝ち方ね……」 「ああ。いつか、仕切り直しをしたいものだ」 ルフレと同じような苦笑いを浮かべたクロムが、ルフレの隣まで歩み寄りそう言った。 「―――― ？」 不意にルフレが虚空を見上げた。 「どうかしたか？」 クロムの声にも気づかぬように、一心に中空を見つめている。 微かに開いた唇が“そんな”と、小さく呟いた。 縋るように、見つめる先へと手を伸ばし ―― 「ルフレっ」 不意にがくりと、糸が切れたように意識を失った。 くずおれる細い身体をクロムが抱きとめる。抱き寄せたクロムの耳元でルフレの唇が微かに「エメリナ様」と呟くのを、クロムは確かに聞いた気がした。 ふわりと、あたたかななにかが、クロムの頭を撫で。すぐに遠ざかった。 「―― 姉さん？」 何ひとつ確信はないままに、クロムはそう呼びかけていた。 それが“はじまり”の兆しだったのだと。 クロムが思い知ることになるのは。いま少し、あとのことである。 書き上げて、思ったのは。 『moratorium』よりも遥かに、こっちの方が平和な話だなということ。 戦闘シーンばっかなのに……不思議だ。
2013/3/26
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