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『あまいあまい』
二の月、十四の日。 この世界にもバレンタインと呼ばれるイベントはある。数年前に旅の行商人が伝えた異界の文化も今ではすっかりイーリス王都に馴染み、この時期になるとそこここの露天がチョコレート菓子で埋め尽くされる。男性側から想いを告げることが多いこの世界で、この日だけは逆に女性が甘い菓子にのせて想いを告げることが許されるとあってどの店も、うら若き女性たちで賑わっている。 つまり、この日に盛り場へと繰り出せば美しい花たちからチョコレートを貰える公算が高い。ということをここ数年の経験でガイアは知っていた。幸い今日は非番である。いそいそと仕度を整え自警団の自室の扉を開けたところで、困惑顔の青年に行き会った。 「なんだ、クロムか。急ぎの用か」 言外に、急いでいると匂わせて。 「確か、ガイアは甘いものが好きだったよな」 そんな様子には気づかず ―― 余程困っているらしい ―― クロムが言う。 甘いものと聞いて、ガイアの表情が改まった。 「まあ、好きといえば、好きだな」 命の次に甘いものが好きだ、とは流石に言いたくないので、濁して答える。 ほ、と明らかにクロムの表情が緩んだ。よく見ればその手には大量の箱 ―― おそらくチョコレートが入っているであろう菓子箱が、抱えられていた。 「この菓子、貰ってくれないか」 心底弱り果てたクロムの言い方に、ガイアの眉間に皺が寄る。 「お前……それは嫌味か憐れみか？」 「なんのことだ？」 「あー、いい。貰ってやる」 そう言って、ガイアはいくつかの箱を選んでクロムから取り上げた。 「何故、小さい箱ばかり選ぶんだ。というか、とても食べ切れんから全部貰って欲しいぐらいなんだが」 「いや。明らかな本命を俺が食うのは流石に ―― っておい、クロム」 「なんだ？」 「もしかして、知らないのか？」 「なにを、だ？」 どこまでも真っ直ぐな目で真剣に訊ねるクロムを前にして、ガイアは盛大にため息を吐き出した。 目の前に積み上げられた大量の菓子箱を前にルフレは困惑顔で、自警団のルフレの自室に菓子箱を持ってきた相手 ―― クロムの顔を見上げて言った。 「クロム……こういうのは、ガイアにあげれば喜んで食べるんじゃないかしら」 皆に公にはしていないがクロムはルフレの恋人で。その相手が他の女性から受け取ったチョコレートを目の前に積み上げられても対処に困る。 「もう行った。追い返された」 「あら。珍しいこともあるものね」 「……その、ルフレ」 「なぁに」 「すまん」 唐突な謝罪にルフレが言葉を失う。 「……すまない。次からは、きちんと断るようにする」 「ああ。ガイアが教えてくれたのね」 「呆れながら教えられた」 昨年までは、こんなことはなかったのだ。チョコレートを貰うとしてもせいぜい姉と妹からで、だからクロムはこのイベントは家族が菓子を贈り合うものなのだと理解していたのだった。なのに今年のバレンタインでは、自警団内の女性陣からこぞってチョコレートを渡された。まあ、家族のようなものだからな、と好意はありがたく受け取ったクロムだったが ―― 流石に一人で処理できる量ではないとガイアのところへ持って行き、ガイアからバレンタインの意味を聞いて頭を抱えることとなった。 無表情で無愛想、どこか近寄りがたいと思われていた自警団の団長が、最近は笑顔でいることが多い ―― それは今目の前に居る彼の軍師の影響が大きいのだが ―― ということも、今年のバレンタインでクロムが大量のチョコレートを貰った一因だったのだが。そんなこととは彼も、明晰な彼の軍師も知る由もなかった。 「―― じゃあ、あたしのチョコは受けとってくれる？」 真剣にクロムに謝られて、ルフレは一度は渡すのを諦めたチョコレートの箱を取り出した。昼間、自警団の女性陣に囲まれた彼を見て。もう渡すのはやめてしまおうと、一度は考えたチョコレート。見せた途端にクロムの顔が真剣になって、少し、ルフレは驚いた。 「！あるのか」 ルフレが躊躇いがちに差出した箱を開けると、中には型で綺麗に成型された艶やかなチョコレートが四粒入っていた。クロムの無骨な手がそっとひとつを取り出して、口に運ぶ。 そこで、クロムの動きが緩慢に停止した。 「ルフレ……これは」 「あ〜…もしかして」 「鋼の味がする」 見る間に落ち込むルフレを見て、クロムは黙っているべきだったと後悔したが、もう遅い。 「うう……自分で食べると普通に甘いのになんで……それにしても、溶かして型に流し込むだけでも駄目なのね」 冷静に分析しつつ、がっくりと肩を落とした。 「クロム。それ、捨てていいわよ」 「いや。食べる」 「へ？いやだって、鋼味なんでしょ？」 「大丈夫だ」 「いやいやいや無理だと思うわよ」 「おまえが、俺のために気持ちを込めて作ったものだ。ひとつも無駄にしたくない」 「……じゃあ、一緒に食べましょ」 真剣な顔で二個目のチョコを口に入れたクロムを苦笑交じりに見つめながら、ルフレも一粒口に入れる。やはり、ルフレが自分で食べると甘い。ほろ苦さとキルシュの味がふわりと広がって ―― とても美味しいと、思うのだが。 「クロム」 「なんだ？」 「ありがと、ね」 「それは俺の台詞だ。俺のために、ありがとう。その……お返しは、期待していてくれ」 鋼の味を飲み下そうと悪戦苦闘する顔は、なかなか面白いことになっていたが。それでもクロムの言葉はルフレに届いた。 「ふふ。楽しみにしてるわ」 これ以上クロムが無理をしないよう、ルフレは残りひとつを口に入れた。 ◇◆◇ イーリス城、王妃の執務室。この城の主である聖王クロムは彼の妃が差し出した焼き菓子を恐る恐る口に運んだ。 「……美味い」 「ほんと？よかったぁ」 クロムの言葉を聞いて、ルフレは安堵に胸を撫で下ろした。 「クロムは甘いものが苦手だから、チョコ入りの焼き菓子にしてみたのよ」 「ああ。これならいくらでも食べられそうだ。何か香辛料が入っているか？」 「そ。シナモンを、隠し味に。流石王族。舌は肥えてるわね」 「おまえも今は王族だが……しかし本当に、鋼の味はしなくなったんだな」 「ええ。あれから結構色んな料理を試してみたけど一回も鋼味にはならなかった」 「ギムレーが、滅びたから、か？」 「たぶん……戻ってくる前と今とで、違いといえばそこだけだし」 ミリエルあたりに相談すれば明確な答えを出してくれるかもしれないが。その結果が必然であると納得がいくまで実験に付き合わされることになるのも明らかだったので、ルフレの中で結論は保留されたまま。 もの思いに沈みかけたルフレの髪をクロムが取る。 ふわりと感じた花の香に、クロムの顔が綻んだ。 「まだ持っていてくれたのか」 その言葉に、ルフレがはにかんだように瞳を伏せる。 「そりゃあ、クロムから、初めて貰ったものだし」 「その香り、よく似合っている」 ぽすんと、ルフレの首筋に顔を埋め言った。 「―― ありがと」 ルフレはそっとクロムの背中に腕を回した。 「ね。クロム」 「……なんだ？」 「この香水、クロムが選んでくれたのよね」 「そうだが。どうかしたか？」 「ううん。慣れない店先でクロムが真剣に選んでくれたかと思うと今更ながらに ――」 あとは言葉にならず、くすくすと笑い声が続く。 「笑うところか」 がばと顔をあげ、クロムは噛み付くようにルフレにキスをした。 甘くほろ苦いチョコの味、甘く爽やかな華の香り。 普段交わすそれにも増して、あまいあまい口づけだった。 普通に覚醒世界にバレンタインあることにして書いてしまってすいません。そこの設定掘り下げなくても良いだろうと、思って。異界設定バンザイ。 クロム様久しぶりに書いたけど相変わらずの朴念仁ぶりに安心しました（エ）
2013/2/14
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