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『このまま君を閉じ込めてしまおうか』
美しい声が、美しい発声で、台詞めいた言葉を告げたものだから、秋せつらはしばし思案に暮れ、時間にして二秒ほどの黙考の後、どうやら冗談などではないらしい、と判断した。 治療は全て終わっている。血塗れのシャツとコートの替わりを要求したが拒否された。あげく告げられた言葉が『このまま君を閉じ込めてしまおうか』なのだから、言葉に詰まろうというものである。 「月並みだな」 薄く紅をひいたような麗しの唇が笑みの形につり上がる。 ドクター・メフィストにとっては既に折り込み済みの答えなのだろう。ならば無駄な会話など不要なのではないかとせつらは考える。口には出さないが。 「跪いて、『愛している。君を離したくない』と囁く方がお気に召すかね」 「ますますもって、月並みだ」 分かりやすくしかめ面を作ってみせる。人の思考は読めても心の機微には疎い医師のために。 「このまま君を帰したくない」 「だいぶ分かりやすい。陳腐さは否めないが」 すらりと長く伸びる脚が組み替えられた。頬杖を逆につく。 「君は時々、暴君のように振る舞う」 メフィストが跪いてせつらの手を取った。 「心外だ。中傷だ」 もう一方の手が素肌の腕に触れる。 診察用の簡素なベッドがきしむ。 まずは手の甲に恭しく、手のひらには敬虔にキスを。治療のために触れたばかりの箇所を辿るようにして、朱唇が触れる。明確な熱を籠めて。 先程塞いだばかりの傷跡はまだうっすらとピンク色の皮膚が覆っている。舌先が、薄い皮膚をねぶると、せつらが流石に眉をひそめた。 メフィストの笑みが深まる。 絹糸のように美しい黒髪が素肌をすべる。 さっきまではあんなに無機質だったのに、とせつらは考える。 淡々と、無感動に、医師としての職務を遂行することだけを目的とした指先だった。雑念など入り込む余地のない視線だった。明確な指示以外を吐かない唇だった。 「メフィスト」 声に焦りがにじんだのは仕方がない。目と鼻の先、息もかかるような距離に医師の美貌があるのだ。目もくらむような麗しのかんばせには何の感慨も湧かないが、今の状況は分が悪い。 依頼人への連絡、事後処理に諸手続、なにも終わっていない。事件は収束しても仕事は完結していない。せんべいの在庫だって足りない。 「おい。落ち着け、メフィ――」 口づけはいつだって丁寧だ。腹立たしいが気持ちいい。色んなことがどうでも良くなる。残念ながら。 心のなかでめいっぱいのため息を吐き出して、せつらは最後の抵抗のためにメフィストを睨み付けていた瞳を閉じた。 ――ゆりかごに揺られているみたいだ。 じれったくて、心地良い。ねむたくなる。 眠ると家に帰れない。 まとまらない意識を総動員して腕を振り上げる。とん、とやわく拳が医師の胸を打つ。 「もっと酷くしてくれ」 額にキスが落ちた。快感に反る背に腕がまわされて、抱き起こされる。 「あ、ん、」 繋がりが深くなる。けれど決定的ななにかは与えられない。じれったさに腰を揺らす。しがみつく。 「帰さぬよ」 肩越しに息をついた瞬間にかける言葉がこれなのだから、返答も遅れるというものだ。 「――話が繋がってない」 「君は自分が死にかけたことをもう少し自覚した方が良い」 「〈新宿〉には〈魔界医師〉が居るのに？」 あんなものは『死にかけた』内には入るまい。 「別になにも、これから無茶をしに行こうっていうんじゃ――っ、んあ、っ、んん」 「休息以上の大切な用などあるまい」 容赦なく突き上げながら、よくもこれだけ平淡な声を出せるものだ。 「は。ん、やっ、めふぃ――っ」 無意識に背を丸める。ぎゅうとしがみつく。くらくらする。血が足りない。 あっけなく精を吐き出すと少しだけ視界が戻った。 まばたきと一緒に涙が数滴こぼれた。医師の指先が優しくぬぐう。いたわるようにキスの雨が降る。何度も。愛おしむように。 「やぶ。いしゃ。が」 キスに応える気力もない舌で、悪態だけはなんとか紡ぎ出す。 「心外だな」 せめて深呼吸を。腹に力を籠めると繋がったままの箇所が熱を持つ。つとめて無視。 「あんたは、過保護にすぎる」 そして、まわりくどい。 「君が無謀なのだから仕方あるまい」 「―――…………」 「せつら」 心地よさそうな寝息がメフィストの耳元をくすぐっていた。 「――目的は達成したが」 長い指先がせつらの黒髪をくしけずる。 「もう少し付き合ってくれても良いと思うのだが」 長い睫毛を揺らす目蓋に、苦笑を浮かべた唇がキスを落とした。
--了--
2017/4/25
ツイッタでアンケート取って『しっとり』『イチャラブ』な白黒を書きました。どうしても混ざる殺伐成分をスパイス代わりに。 |