『栗ご飯と鰤の照り焼き』





「私には奢っていただけないのかな」
　と告げられて、秋せつらはしばし沈黙した。言葉の意味を推し量りかねたのだ。
　秋せつらがドクター・メフィストに食事を奢ったことはない。奢られたことは数知れず。下心のあるそれも、ないそれも軽く受け取って秘められた心は袖にしてきた彼である。
「それって、夕食？」
「そうだな」
　ううむ、せつらが唸る。想定外の事態を吟味するように再び押し黙る。
　なにやら決心したものか、傾げた首が戻された。
「中華、フレンチ、イカモノ料理」
「他人に供したのと同じものを私にあてがうつもりかね」
「注文が多いな」
　再びの沈黙は、そう長くは続かなかった。
「――それなら」



　　　＊



　秋せんべい店奥の六畳間、卓袱台の前にきちんと正座して待つ魔界医師の姿があった。窓外を夕焼けの名残が染めている、凍える影も間も無く失せる時刻だ。
　いささかならず誇らしげに輝きを増した卓袱台に、手早く膳が整えられていく。
　栗ご飯、鰤の照り焼き、茄子の味噌汁。白菜の浅漬け。これは残りものだけどと筑前煮。デザートに冷やしたマスカット。
　自分の膳も整えたせつらがメフィストの斜め前に腰を下ろす。栗ご飯にごま塩をふりかける。ついでに、メフィストの茶碗にも。
「箸はつかえるよな」
　返事を待たずにせつらが手を合わせていただきますを言う。メフィストが唱和する。
「クリームソーダをつくる時は」せつらが鰤の骨を取り除きながら言う。「氷をたくさん入れた上にアイスクリームを置くそうだ」大切な真理を得たもののように誇らしげに語る。
「そうだな」
「知ってたの」
「君が好むもののことは」
　メフィストが味噌汁の具を口に運ぶ。
「あんた、好物とかあるの」
「なんでもいただくが」
「行きつけのラーメン屋があるって噂で聞いた。こないだはしらたきをほぐして食べてたし。あんた、ちゅるちゅるしたものが好きなのか」
「さて」
　そこで会話が途切れた。どこか遠く、双頭犬が鳴き交わす声。もくもくと箸をつかう音。
「なんで、途中でやめた」
　唐突なせつらの言がモンパルナスの手術のことを指すと、
「理由はあの時にお話しした筈だが」
　この医師にはすんなりと伝わる。
「いつものあんたなら、患者を手放すような真似は決してやらない」
『私』の秋せつらが相手であっても。
「患者の意志は尊重せねばならぬ」
「いつだったか、僕の捜し人を本体とドッペルゲンガーに分離したのも患者の意志だって？」
「あれは治療の過程で生じる副作用のようなものだな」
「僕を不死身にしたのは」
「あれは治療ではない」
「藪」
「見解の相違だ」
「ドクター・ランケンは死んだぞ」
「そうかね」
「またこれで安心して〈新宿〉一の看板を掲げられるんじゃない」
　食後の番茶を湯飲みに注ぐ。均等に、最後の一滴までぬかりなく。
　せつらが湯飲みを傾ける。満足げなため息。嫌みに対する返答が返らぬことに気づいてちらりと医師を見やる。
「死は、総てに平等だ」
　静かなメフィストの声音に、せつらの湯飲みを傾ける手が停まる。
「死人専門の医者にも？」
「私にも、君にも、だ」
「魔界医師でも弱気になることはある、か」
「単なる事実を申し上げたまでだが」
「左様で」
　適当な相槌とともにせつらが食器をさげる。洗うのは明日でいいかと洗い桶に突っ込む。
　先程と変わらぬ姿勢で座す医師のかおをひょいと覗き込む。
「あんた。ほんとに今日はおかしいな」
　怪訝そうな口調に、
「君も」
　微苦笑が返る。
「さあ。こんなふうに誰かと食卓を囲むのは久しぶりだから、浮かれているのかもしれない」
　間近で視線が合わさって。唇を触れあわせたのは、どちらからであったか。
「泊まってく？」
「いつもとは立場が逆だな」
「確かに」
　そのまま深く、貪るようにキスが交わされた。



　　　＊



「床に布団を敷いて寝たことは」
　けろりとした顔で卓袱台を片付けながらせつらが問う。
「なくはない」
　押し入れから布団を出して居間に敷く。洗いたてのシーツをかける。
「朝起きて身体が痛いとか言われても苦情は受け付けられない」
「それは、君の方だろう」
　これからすることを考えれば。
「ドクター・メフィストが？　僕に痛くする？」
　メフィストの笑みが深くなる。
「あり得んな」
　ひょいとせつらが手を差し出す。意味をはかりかねてメフィストが首を傾げる。
「それ。皺になるだろ。かけておくから寄越せ」
　純白のケープを指して言う。
「あっちに衣紋掛けがあるから――」
　と、続けた言葉は最後までは言えなかった。
　腕が引かれる。舌を噛まないように慌てて口をつぐむ。せつらの視界がぐるりと回って、背中を布団が受けとめる。さらさらと、メフィストの長髪が流れ落ちて、いく筋かがせつらの頬を掠める。間近に美貌。
「あぶない」
　咎めるようにせつらが言う。
「君の気が変わらぬうちに」
「横暴をひとのせいにするな」
　メフィストがせつらの頬に唇を落とす。そのまま首筋を食む。くすくすと、せつらがわらう。
「なんだか変な気分だ」
「酔っているのかね」
「まさか。一滴も飲んでない。知ってるだろ」
　せつらの手がメフィストのケープにかかる。
「暑苦しい。脱げ」
　言葉よりもはやくケープの留め金を外している。せつらの手がぞんざいにケープを脱がせにかかる。皺になるなどと気づかったことは忘れたようだ。重たげなシルクの生地を脇に放る。
　せつらの腕をメフィストが押さえる。片手で器用にシャツのボタンが外される。黒づくめの衣服から白い肌が覗く。指先が触れ、唇がなぞる。冷えた感触にせつらが息を詰める。
　やんわりと押さえられていた腕を取り返して、せつらがメフィストの上衣を探る。襟元のホックを外し白蝶貝の細やかなボタンを開けにかかる。
「あんたの服はややこしい」
「医師としての正装だ」
「体面を気にする医者らしいお召し物で」
　メフィストの手が脇をすべり細い腰を撫で下肢に至る。せつらの眉が寄る。
「腰を浮かせなさい」
「医者の口調で指示するな」
　それでも素直に従う。スラックスが剥ぎ取られる。
「寒い」
「すぐに暑くなる」
　言葉とは裏腹にすぐに触れようとしないメフィストを、せつらが怪訝そうに見やる。じっくりと、舐めるような視線に呆れたように吐息をつく。
「そう、じろじろ見るな。穴が開く」
「良い眺めだと思ってな」
「あんた、めんどくさいやつだって言われないか」
「君ぐらいだな」
「あんたと寝る奴の目はのこらず節穴か」
「こんな風に眺めて飽きないのは君ぐらいだ、と言っている」
「――聞くんじゃなかった」
「君から始めた会話だが」
「もういい」
　よっこいしょ、などと。雰囲気もなにもないかけ声とともにせつらが上体を起こす。
「やっぱり、されるばかりは落ち着かない」
　まだなにか言いたげなメフィストを無視してシャツに手をかける。存外に優しい手つきで丁寧に、ボタンを外す。流れる黒髪をかき分け首筋を食む。すべらかな肌に指を這わせる。
　たわわな膨らみなどあろう筈もない、彫像のように均整のとれた胸を撫で、せつらがしみじみと呟く。
「やっぱ、男同士だと勝手がちがうな」
「これだから――」
「いま僕と私は関係ないだろ」
　むっとしたように遮る。
「失礼した」
「っ。おい、」
　肩を押され再び押し倒される。
「勝手がわからぬのだろう？　大人しくしていたまえ」
　唇が重なる。舌が絡む。
　メフィストが潤滑剤を手のひらにとる。丁寧に馴染ませ体温にあたためる。
　見慣れぬ光景をせつらが興味深そうに見上げる。
「用意が良すぎる」
　後孔に塗り込められる感触に眉を潜める。
「常に備えは怠らぬのが信条でね」
「往診先で患者とよろしくするために」
　一息に、後孔に潜り込んだ指にせつらがびくんと身を反らせる。
「――っ、あ、」
「患者と、なにかな」
　行為にそぐわぬ冷えた声音が訊ねる。
「っ。なん、でもない」
　乱暴、と呼んで差し支えない強さで前立腺が掻かれる。
「そうかね」
「おま、それ、わざとだろ」
「さて」
　無意識に逃れようとする腰をメフィストが抱き寄せる。目尻を染める滴を舌が掬う。そのままキスを。ほのかな塩の味がする。
「あ、そこ、っ、んん」
　吐息のように喘ぎがつづく。せっかく始めたのだから、快さを隠す気はないのだろう。それに、今更だ。恥じらいも、遠慮も駆け引きも、見せる必要がないほど気持が通じてしまっている。
「頃合いだな」と呟きが漏れて。うつ伏せになるよう促される。昼間干したばかりの布団は日向の匂いだ。別になにかを期待して布団を干したわけではないのだが、と頭の中で言い訳をする内に背中を唇が這う感触。
「……い、たい」
「力を抜きなさい」
「それ、ほんとに、入るの」
「君が協力してくれれば」
「あ、んん、っつ、う」
　じわり、慣らすように、確実に体内を犯す熱にせつらの手がシーツを掴む。ぎゅうと握りしめる。じっくりと抽挿を続けるうち、内壁がメフィストの雄に沿ってくる。
　犯されている。それを赦している。
「どうしてこうなったんだっけ」
　向かい合わせに返されて、メフィストを見上げせつらが問う。問い、というよりは自問か。
「私の方が聞きたいが」
　せつらが腕を伸ばす。メフィストの首を抱え込む。抱き上げられる。対面座位で向かい合う。深く繋がる感覚に形の良い眉がきつく寄る。ため息を深く。
「よくわからない」
「もうやめておくかね」
「それは困る」
　せつらが上唇を舐める。
「まだ気持ちよくなってない」
「確かに、それは困るな」
「ここで止めても構わないあんたの気が知れない」
「いや」
　僅かに高い位置にあるせつらの美貌を見上げ、メフィストが笑む。顎を捉え唇を重ねる。
「その気になっていただくつもりだった」
「最悪だ、ばか」
　せつらが笑いながらキスを返す。続きを促す。
　揺さぶられるたびに勃ちきった陰茎が腹を打ってきもちわるい。決定的な刺激が得られないままじわじわと、身体の裡で熱が対流する。背骨の芯がゆるゆる痺れていくようなじれったい感覚。
　あと少し、というところで突き上げる動きが停まる。目線で問いかけるせつらの頬を撫で体勢を変える。
「布団、なるべく汚すな」
　メフィストを見上げ釘をさす。
「善処しよう」
　ふたりぶんの体重を布団が柔らかく受けとめる。せつらの腰が高く抱えられて脚があがる。深く、身体を繋ぐ。
　ぎりぎりまで抜いて最奥まで貫くたびに洩れる甘い声が次第に間隔を狭めて、苦鳴に近い喘ぎに変わる。
「は、あ、んあ、っ、ふ、んん」
　あと少し。またそのタイミングで抽挿が停まる。つよく抱き締められて、せつらが目を開ける。奥に、あたたかなものがどくどくと注がれる感覚に、眉間に皺が寄る。無意識に抱擁を求めかけて我に返る。

「おまっ、なに、自分だけっ」
　潤みきった黒瞳も、薄紅に染まった頬も、苛立ちと焦燥を滲ませた声音すら扇情的で。いっそ芸術的ですらある。
　まだなにか言いかけた唇をメフィストが塞ぐ。なんなく舌を潜り込ませる。洩れる吐息も苦しげな喘ぎも無視して口内を蹂躙する。長く。呼吸を許さぬ程に永く。
「最悪だ」
　あがった息を継ぎながら、いささかトーンダウンした口調でせつらが言う。
「君の要望に沿ったまでだが」
　こちらは変わらぬ冷厳たる口調だ。抑えきれぬ笑みが朱唇にのぼってはいるが。
「だからって」
　触れるだけのキスにふたたび言葉が途切れる。
　不意に抱き上げられて、せつらが抗議の声をあげる。
「おい」
「バスはこちらかな」
「勝手な真似をするな」
　既に歩きだしたメフィストの肩に慌てて腕を回す。勝手をされるのも困るが放り出されても困る。
「どちらにしろ処理が必要だ」
「余計なお世話」
　大した抵抗もできぬままあっという間に浴室にたどり着く。
　中途半端にイかされたせいでいまいち思考が回らない。冷えたタイルに降ろされてバランスを崩す。
　メフィストの腕がせつらの腰を抱く。
「気安く触るな」
「今更だな」
　諦めてせつらが給湯器のスイッチを入れる。冷えたシャワーがじきに湯気をあげる。浴室に蒸気が満ちる。
「腹のなかが気持ち悪い」
　ぼんやりと、いつも以上に焦点の定まらぬ声音が不満を漏らす。
「待ちなさい」
　メフィストがせつらの腰を抱き寄せる。長い指先が下肢にすべる。
「――自分でやる」
　嫌な予感がして身を引こうとするが手遅れだ。
「私の手が必要だろう」
　有無を言わさぬ口調が淡々と告げ、医師の指先が後孔に沈む。
「……っ、あ、」
　くち、とかすかに粘稠な音をさせてあっさりと指が飲み込まれる。すぐに二本に増やされた指先がなかをくつろげるように動く。快楽を与えるためではなく、そこをほぐし、先ほど受けた精を吐き出させることを目的とした、機械的な刺激を与えていく。
　ざあざあと流れ続ける水音と湯気がせつらの声と表情を隠す。流れるそれが汗なのか、水滴なのかを分からなくする。
「く、ん、」
　最後まで淡々と、名残も見せず指が引き抜かれて、白く濁った精液がせつらの股を伝って流れる。湯に混じり排水口へ消えてゆく。
　息を吐き違和感を逃がすせつらの首筋をメフィストが淡く食む。繊手が下肢を這い、半ば勃ちあがったせつら自身を撫で、掴み、扱き、先端を掻く。収まりかけていた欲がふたたび主張をはじめてせつらが五月蠅げに眉を寄せる。息を詰め、なんとか吐き出して。緩急をつけて与えられる愛撫にまたすぐに口を噤む。
　そういえば直接触れられるのははじめてだ。布団を汚すなというリクエストを律儀に守っていたメフィストの馬鹿正直さに苦笑する。そんなことを考える余裕もすぐに飛ぶ。
「は……あ、っん、く、っ……んあっ」
　白い肩がふるえる。シャワーにまた白濁が混じる。先ほどよりも長く。
　メフィストの唇がせつらの首筋を噛み、吸う。きつく。痕がのこるぐらいに。
　達してすぐに力の入らぬ肢体を美しい手が確かめるように撫でまわす。背にあてられる昂りの感触にせつらが慌てて振り返る。
「待て。おい、さかるなばか」
「無茶を言う」
　文句を言う頤が繊手によって固定される。そのまま唇が奪われる。
「っふ、んあ、あ、や、」
　深く交わる呼気の狭間から悲鳴のようにせつらの声が漏れる。
　貫かれている。立ったまま、後ろから。
「あ、ばか、キツい」
「確かに、少しキツいな」
「動きながら、言う、な、ばかっ」
　いきなり激しく突き上げられて浴室の壁に縋り付く。更に身を寄せるようにメフィストが自身を深く沈める。一度精を放って萎えていたせつら自身に手を這わせ、律動に合わせて扱く。
「あ、あ、あ、っ、や、んあっ」
　なにも考えられなくなる。苦しいような、たまらないような感覚がぞわりと背骨を這い上がる。
　あっさり精を吐き出して、せつらが苦しげに息を継ぐ。
「んん」
　怒張を保ったままのメフィストの雄が引き抜かれて、向かい合うように返される。せつらの背にタイルが押しつけられる。
「――――っ、は」
　膝裏を掬い上げるようにして抱え上げられるのと、再び貫かれるのが同時で。イったばかりの思考がまったく追いつかない。無意識にメフィストの背に縋り付く。肩に顔を埋める。微かに笑う気配。こちらはちっとも笑えないのに。
「ばかいしゃ」
　一度明確に動きが停まり、すぐに最奥を抉るように突き上げられる。綺麗に喉を反らせるせつらの耳元に唇を寄せメフィストが囁く。
「名を呼んではくれないのかな」
「自分ができないことを、僕に求めるな」
「成る程」
　じっくりと、せつらの瞳を覗きこんでメフィストが笑む。視線を外さぬまま、ぎりぎりまで引き抜いた怒張をふたたびせつらの裡に沈めてゆく。じっくりと、内壁に形を覚え込ませるように犯してゆく。時間をかけてすべておさめる。
「せつら」
　愛しいものを呼ぶように告げる。ぴたりと腰を密着させる。
「せつら」
　掌中の玉を愛でるように甘い声が呼ぶ。
「せつらっ」
　行為に酔うように。焦燥を滲ませた声音とともに奥を穿つ。
「せつら」
　冷徹な医師のどこからこんな、と。せつらが押し黙るほどの真摯な響きが言の葉に乗る。
　せつらが眉間に皺を寄せ、ため息を吐く。しかつめらしい表情をつくる。腕を伸ばし、メフィストの麗貌を両手で挟む。
「メフィスト」
　静かな、囁くような呼び方だった。その一言だけで時を停められるような響きを持った声音だった。
　しかつめらしい表情のまま唇を重ねる。戯れに唇を舐め顔を離す。
「せっかく集中してるんだ。黙って続けてくれ」
　めんどくさいの半分、真剣さ半分という口調とともに、両の手でメフィストの頬をぐにぐにと引っ張る。思いのほか柔らかい感触に堪えきれずにせつらが笑う。
「君は難しい」
　深いため息と共にメフィストがせつらの手を掴む。そのまま手のひらに唇を落とす。
「あんたには言われたくないな」
　くつくつと、笑いが収まらぬまませつらが返す。メフィストの形のよい後頭部に腕をまわす。そのまま引き寄せ、抱え込む。間隔を刻む律動に耐えるように眉を寄せる。
　ざあざあと、流れ続ける水音も。自身の裡を犯す粘稠な響きも。次第に意識から遠ざかる。
「ふぁ、あ、く、んん、は、……っ」
　あたたまった浴室はあがりきった体温と同じ。肌に触れる湿った空気も、抱き合う体温も、境目をなくしてあやふやに融ける。自己の境界がゆらぐなかで、熱が凝る下腹だけが存在を主張する。解放を待つ欲だけが意識を現実に繋ぐ。とてもくるしくて心地よい。一刻もはやく解放されたくてこのまま繋がっていたい。無茶苦茶だ。自分のなかですら意見がまとまらない。
「っ、く、んあ」
　きつく壁に押し付けられる。深く繋がる。汗が吹き出す。息をするのも惜しい快感が幾度も押し寄せる。
　ああ。これ以上は耐えられない。
「めふぃ、と」
　せつらがメフィストにすがりつく。背を丸める。爪先がきゅうとすぼまる。
「せつら」
　苦しいほどにせつらを抱き締める。メフィストの背が震える。精を吐き出している。せつらのなかに、幾度もとめどなく。
　額を汗が流れ落ちる。ぐしゃぐしゃだ。お互いに。ひどい顔をしている。
「あつ、い」
　達した余韻にぼんやりと、焦燥の抜け落ちた声でせつらか告げる。言葉を無視するようにメフィストが唇を重ねる。
「ん、んん、ふ、」
　愛でるように口内を一通り探ると唇は頬に、首筋を食んで鎖骨、肩口から腕、胸、突起を舐めて腹に至ろうとしたところでせつらに押し返された。
「いい加減、抜け」
「つれないな」
　この状況でなにを言い出すのか、という視線にメフィストが肩を竦める。名残惜しげにせつらを持ち上げ繋がりを解く。ようやく解放されてせつらがため息を吐く。気だるげにタイルに凭れる。股のあいだをとろとろと白濁が伝い落ちる。
「きもちわるい」
「洗って差し上げよう」
「べたべたさわるな」
　もう一度メフィストを押し退ける。腕を伸ばし、給湯器のスイッチを押す。湯張りします、と機械的なアナウンスが流れる。
「先日、給湯器を新しくした。ボタンひとつで風呂が沸く」

　天井にできた結露の玉が膨らんで、ぴちょんと落ちる。定期的に繰り返すそれをせつらが目で追う。
「なんで男と一緒に風呂に浸からなきゃならないんだ」
　しみじみとした声音だ。せまい、と、不満げにつづける。
「次は病院へ来たまえ」
　耳元で囁く声に不快げに眉を寄せる。
「次なんかないぞ」
　釘をさすことを忘れずに。
「なにか不都合があったかね。次回の参考にしよう」
「それとこれとは関係ない。あんたとそんな関係になる気はないだけだ」
　メフィストがせつらを背後から抱き締める。頬に唇を寄せる。
「せっかく君がその気になったのだから一度で終わらせるのは惜しい」
　せつらが乱暴に腕を振りほどく。ばしゃん。盛大に湯が溢れる。
「そういうところがめんどくさいから嫌なんだ」
　言葉には刺があるが機嫌はよさそうだ。浴槽の淵に腕をのせそこに顎を預ける。
「それに、誰がその気になったって？　誰かと寝るのに理由が必要？」
「そうだな」
「この節操なし」
「君に言われたくはないが」
「確かに」
　どうでもいいところでは意見が合う。
「まあ、痛くしなかったのは褒めてやる」
　メフィストがせつらの頬に唇を寄せる。
「次を期待してもよろしいのかな」
　せつらが振り向く。そのまま唇が重なりそうな距離で。
「さあ――それは、その時の気分次第」
　笑い混じりに応えを返した。








--完--





2021/1/23 (pixiv初出:2020/11/1)



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『天使たちの紅い影』の感想から白黒になだれ込む。