『Φ＝(1＋√5)／2』
 しらゆき








せつらが院長室の扉を開けると
「少し待っていてもらえるかね？」
黒檀のデスクで、何やら奇怪な絵の描かれた本のページを捲っていたメフィストが、眼でソファーを示した。
言われるまま、ソファーに座る。
ここのソファーは本当に座り心地が好い。深く腰掛け、せつらは背凭れに寄りかかった。
ぼんやりと部屋の中を見回す。
部屋の一角にある巨大な書棚に気付き、首を傾げた。少し伸びた前髪が、瞳を覆う。
何度も訪れている院長室で、今まで気にしたこともなかったその書棚。
軽く頭を振って髪を振り払った。滑らかな黒髪が月光に煌く。
ちらり、とメフィストを流し見た。
白い医師の視線は真っ直ぐ机上の本に注がれている。何を調べているのだか、せつらには分からないがまだ当分、時間がかかりそうだ。
よいしょ、と立ち上がり書棚に近付いた。

＊＊＊

そろそろ相手をしなければ機嫌を損ねるだろう、とメフィストが読みかけの本を閉じようとした時。

徐に、せつらが黒檀の大きなデスクに左手を突いた。
デスクに半分身体を乗り上げ、メフィストと正面から向かい合う。
「どうかしたかね？」
メフィストは怪訝そうに、いつの間にか目の前に迫る茫洋とした漆黒の瞳を見詰め返した。
「んー、ちょっと」
のんびりと返事を返し、せつらが右手を伸ばした。長い艶やかな黒髪に縁取られたメフィストの、形の良い白い額に指先が触れる。
中指で、髪の生え際を押さえた。
そのまま、掌を下方向にいっぱいに広げる。
親指は整った鼻を飛び越え、紅い下唇に着地した。

いきなり視界を覆った白い掌に面くらい、メフィストは睫毛を忙しく瞬かせた。
「せつら…？」
唇を、親指の腹が擽る。
当のせつらは妙に真剣な顔付で、メフィストの額に当てていた中指を尺取虫のように、下唇の親指に合わせ、今度は親指を顎先まで伸ばす。

大人しく、されるがままになりながら、メフィストは柳眉を寄せた。
どうやら顔の長さを測っているらしいが、何故突然、そんなことを始めたのか目的が分からない。
先程まで書棚で何か熱心に読んでいたようだが…それと関係あるのだろうか？

次にせつらは一旦離した手を、再びいっぱいに広げ、メフィストの左右の頬骨を跨ぐように押し当てた。
「あ、本当だ」
嬉しそうに声を上げ、自分の掌とメフィストの顔を見比べる。
「…一体、何をしているんだね？」
全く訳が分からず、呆れた声を出す魔界医師に、せつらは自慢げに微笑んだ。
デスクに両肘を突き、メフィストに顔を近付ける。
顰められた黒曜石の瞳を、茫と悪戯っぽく覗き込み、重大な真理を告げる科学者のごとく重々しく、内緒話のように声を潜めた。
「1：1.618」
「…？黄金比がどうかしたかね？」
なんだ知っていたのか、と詰まらなそうに唇をひん曲げたせつらを見詰め、メフィストは頬にかかる髪を掻き上げた。
微かに溜息を吐く。
「…それくらい常識だ。それが一体なんなんだね？」
「だからお前の顔」
ぶすっと、せつらが繊指を伸ばし、メフィストの顔前で十字を切るように動かした。
「横と縦が1：1.618。黄金比」
ああ、と頷き、メフィストは首を傾げた。
「それがどうかしたのかね？」
「いや、よく出来ているな、と思って」
拗ねたように睫毛を伏せたせつらに、メフィストは紅い唇の両端を、にいっと持ち上げてみせた。

＊＊＊

不穏な空気を感じ、周章ててデスクから降りようとしたせつらの二の腕を、メフィストが掴んだ。
それだけで動けなくなった想い人の耳朶に朱唇を寄せ
「身体にも、黄金比があるのを知っているかね？」
と、吐息交じりに耳打ちする。
突然、周囲の空気が淫靡なものに変わり、せつらは乾いた唇を舐めた。
「…どんな？」
「おいで」
黒衣の両脇に、白く透けるような繊手を差し込み、デスクの上にせつらを引き上げた。
本を押しやり、そこに仰向けに寝かせる。
せつらが纏うロングコートが、ふわりと机上に広がった。

黒絹の髪をくしゃりと繊手で掴み、白く長い人差し指でつむじに触れた。
指先を軽く、透き通る白磁の肌にのせ、緩やかに撫で下ろしていく。
白い額、通った鼻筋、薄紅色の唇、小さな顎…
中心に沿って、人差し指はゆっくり動く。
咽喉まで辿ると、タートルネックの上から更に胸、腹と指が滑り降りる。
布越しの焦れったい感覚に、せつらは大きく息を吐き、身を捩った。
白い指は、黒いベルトの上で停止した。
「…頭頂から臍までが1」
誘い込むように妖しい声が、脳を侵食する。

ベルトの上で、メフィストは掌を開き、再びせつらの身体を撫で下ろし始めた。
下腹、そして身体の中心へ。
敏感なその場所を掌が掠め、せつらは息を呑んだ。びくっと腰が跳ねる。
徐々に血の色を増していく唇を、メフィストは目を細め見詰めた。
桜色の頬に、そっと口付ける。
身体を撫でる手は止めず、太腿の内側を、膝を、脛を。少し強めに撫でていく。
せつらの息が浅く速くなる。
足首まで辿り着くと、メフィストはせつらの足から黒い革靴を脱がせ、床に置いた。
靴下も抜き取り、現れた静脈の透け見える、雪よりも白い足を愛しげに擦る。
「臍から足の裏までが1.618…」
そして甘やかに囁き、足の甲にチュッと唇を落とした。
せつらの眉間に皺が寄る。
「これも黄金比だ」
身体を上に引き上げ、想い人の顔を挟んで両手を突き、メフィストが微笑んだ。
黒髪が一束、さらりとケープを滑り落ち、デスクに散った。

＊＊＊

「く…っ。これも…っ黄金、比…？」
弾む呼吸の中、せつらは眼の横で揺れる黒髪に手を伸ばし掴んだ。髪は抵抗なく、するすると指を滑る。
しっかり掴んだ筈の美しい髪は、するするするすると零れ、一筋も手に残らない。
虚しく空を握る拳を、せつらは唇に押し当てた。
「なにが、だね？」
白い指でせつらの汗で貼りついた前髪を掻き上げ、メフィストが額に唇を落とす。
何度も何度も、愛しげに。
目蓋を、鼻を、上唇を。何度も何度も柔らかく啄む。
「お前、と、"僕"の…っ想い、の…比率っ…んぁっ?!」
甘く痺れるような感覚に、せつらは陶然と身体を震わせた。
メフィストが動きを止め、焦点の合わない黒瞳を覗き込んだ。
「どういう意味だね？」
メフィストの瞳に映る蕩けた自分の顔を見詰め、せつらは静かに笑む。
「お前が1で…僕が1.618」
「逆、ではないのかね」
「嘘が下手だな…メフィスト」
せつらはゆっくり目蓋を閉じた。長い睫毛が微かに細かく震える。
その頬を両掌で包み、メフィストが囁いた。
優しく優しく甘く甘く。蜜のように甘美な囁きで、掌中の黒真珠を絡めとる。
「愛しているよ、"せつら"」
「この嘘つきめ…」
せつらの声は、唇を塞いだメフィストの咥内に吸い込まれた。

＊＊＊

1の引力で、メフィストが"僕"を抱く。唇を落とす。
1.618の重力で、"僕"は縋りつく。爪を立てる。

1:1.618。

それが今の二人の想いの比率。
僕らの黄金比。





＊＊＊終＊＊＊





2013/3/21



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言い訳しますと、会議中、突如最後の5行が頭にぽっと浮かびまして。そこをゴールに書いていたはず…なんですが、会議のストレスか前半が思いの外、甘くなり(笑)それでも無理に繋げたら、よく分からない話になっちゃいました(^^;)要は、"私"←Dr.←"僕"で、やっぱりメフィスト先生は"私"が好き。でも"僕"と付き合ってます、ってことです。はい。てか、"僕"がなんだか可哀想な気が…最後のページやめてラブラブで終わらせりゃ良かったか？
とりあえず、お読み下さり、ありがとうございましたー☆