『δεσμος ―desmos／鎖―』
 しらゆき








指を伸ばし、下膊の内側に透け見える静脈の蒼い筋道を、爪の先で軽く引っ掻くように上腕まで辿る。
肘から二の腕。鎖骨。
そして首筋へ。
指を動かす。
白く滑らかな肌がプツプツと粟立っていく様に、微かな満足感を覚える。

緩く閉じていた睫毛がピクリと震え、せつらがぼんやりと目蓋を持ち上げた。
半分伏せられた睫毛越しに覗く漆黒の瞳が、ゆらゆら揺れ、ゆっくりとこちらに焦点を合わせる。
「…」
濡れ光る唇が、なにか言いたげに開かれた。
首筋から撫で上げた指を、薄っすらと開いた唇に割り入れ、綺麗な歯列をなぞる。
隙間から紅い舌が覗き、チロリと指を舐めた。
指先がねっとりと、熱く濡れた舌に絡めとられる。
指で舌を弄ると、せつらは僅かに目を細め、指の根元に甘く噛みついた。
あえかな痛みが、心地好い。
茫と霞む黒瞳でこちらを見ながら、唇をすぼめてちゅるちゅると指を吸う様は、ひどく扇情的で愛らしかった。
口腔から指を引き抜き、頬を掌で包み込む。
顔中に啄むような口付けを落とした。
せつらは満足げに息を吐き…
眠いのだろう。再び、ゆっくりと目蓋を閉じた。
穏やかな呼吸音が部屋に響く。

暗夜を固めた宝石のような黒瞳が、目蓋に隠されてしまうのが惜しまれ…

「"せつら"」

眠りの淵にいる君に、わざと声色を変え呼びかければ、君はほんの少し眉をひそめ、美しい顔を歪ませる。
ゆるりと開いた闇色の瞳の奥。
ちろちろと燃える蒼白い嫉妬の炎を見付け、歓喜する。甘い痺れがゾクゾクと背筋を這い昇る。
自分の半身に嫉妬の炎を燃やす君は、なんと美しく、なんと可愛らしいのだろう。
もう一度、呼び掛ける。
「愛しているよ、"せつら"」
せつらの漆黒の瞳が揺らめいた。

シーツに投げ出されていた白い腕が緩慢に持ち上がり、私の首根を掴む。
思いの外強い力で引き寄せられる。
唇同士がぶつかる寸前で止まり、甘い吐息が顔に触れた。せつらが囁く。
「もっと…」
と。
少し顔を離し、先程までの名残を留め今だ熱く火照る頬を、指の背で撫でた。
「もう充分ではないのかね？」
「もっと」
せつらの両腕が、首にしなやかに巻き付く。引き寄せる。

「もっと…お前の全てを僕に寄越せ」

そして噛みつくように唇を合わせた。
舌を絡ませ、唾液を吸い上げ、濃密な口付けを交わす。
身の内に無上の歓びが湧き上がり、我知らず頬が緩み唇が笑みを刻んだ。

私が植えた嫉妬の種で、君は私に執着する。

「…お望みのままに」
息を弾ませる君にそう告げると、君はするりと脚を絡ませた。

＊＊＊

「メフィ…ストっ。もう、や…め」

何度目かの逐情の後、せつらが掠れた声で言い、弱く肩が押された。
虚ろに開いた瞳から、涙が一筋零れ落ちる。
目尻に唇を寄せ、残った雫を舐めとった。仄かに塩辛い筈の水滴も、甘露のように舌を潤す。
薄紅色に染まった耳朶に、問い掛けた。
「もう？どうするね、"せつら"…？」
切な気にしかめられた眼を覗き込み、視線を絡ませる。
茫洋と霞む黒瞳が一瞬、鋭く光った。
唇が震える。
「もっと」
と。
消えいりそうな小さな声で、君が囁く。

もっと、もっと、もっと…

抉るように突き挿すと、甘く掠れた嬌声が上がり、せつらの背中が綺麗な弧を描いた。

＊＊＊

首に触れた掌にドクドクと波打つ脈動が伝わり、やがてそれは常より緩やかなリズムとなる。
ゆっくりとした呼吸と鼓動。弛緩した筋肉。
身体を痙攣させ、ガクリと意識を手放したせつらは、今は深く深く眠っていた。

掌をゆっくりと首から顎、頬、耳と撫で上げ、絹糸のような黒髪に触れる。
汗で湿った髪を指で整え、顔にかかった髪を後ろに流す。
やり過ぎたのは、分かっていた。
起こさないよう、少し開いた唇にそっと口付ける。
眠っていた筈のせつらが、微かに薄く目を開いた。

白く透き通る腕を持ち上げ、こちらに指を伸ばす。
意外に冷えた指先が頬に触れ、額から垂れる髪を絡め取った。
引かれるままに、顔を近づける。
「メフィスト…もっと」
舌っ足らずな口調は譫言のよう。
指が髪を滑り落ち、腕がぱたんとシーツに落ちる。
瞳を覗き込めば、焦点が曖昧に蕩け…
半分意識がないのは明白だった。寝惚けているのだろう。

それでも君は私を求める。
もっと、もっと、もっと…
嗚呼、その執着が愛しい。

鼻を摺り寄せ、低く優しく囁く。
「もう充分だよ、せつら」
そして頬を両手で包み込み
「…おやすみ」
唇を順に左右の目蓋に押し当てると、せつらは静かに息を吐き、再び眠りに就いた。
深く緩やかな呼吸を数え、艶やかな黒髪を撫でる。
小指に僅かな違和を感じ、左の手を天窓から降り注ぐ月明りに翳し見た。
眼を細める。

いつの間にしたのだろう。
小指には、妖糸がぐるぐると幾重にも巻きついていた。

きらきらと微かに光る筋を辿れば、眠るせつらの手の中へと続く。
ほとんど意識のない状態でも、その手は強く握られていた。
くくっと、自然に笑いが零れた。
「…随分と可愛いことをしてくれる」
堅く握られた拳を持ち上げ、そっと唇を付け、眠る君に囁く。
「愛しているよ、せつら」
君には決して言わぬけれども。

私が欲しいのは、君の執着。
もっと、もっと、もっと…と。
しがみつき縋りつく君の執着が、君と私を繋ぐ鎖。
君を私に繋ぎ留める鎖。
この指に絡む妖糸のように…

「愛している」

意識のない君の耳に唇を寄せ、伝えることのない言葉をもう一度だけ囁く。
せつらの口元が、ほんわりと笑みを刷いた。





＊＊＊終＊＊＊





2013/4/20



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"私"に愛してもらえない分、"僕"に求めてもらおうという、ちょっと可愛いDr.でしたー。え？可愛くないっすか？
お読み下さり、ありがとうございました！