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『彼女の愛する青色』
ペレジアとの戦争がイーリス、フェリア連合軍の勝利に終わって半年―― 戦後の復興処理、ペレジアと通じていた者たちへの処断とそれに伴う領地替え、と息をつく暇もなく目の前の仕事に忙殺される中、気づくと半年が過ぎていた。 １０日ぶりにイーリス王都に帰還したルフレは、王城の一角――客人が謁見を待つ間にくつろぐ為に設けられた中庭に面したいくつかの部屋のうちの一つで午後のお茶を楽しんでいた。 彼女の向かいに座っているのは宰相。情報交換をかねてのお茶会だった。 「――信頼できる人物？」 戦争が終わり、王都へと帰還して。戦後処理をはじめようという時にまず、ルフレがクロムに提案したのがそれだった。 「そう。できればイーリスの内情に詳しくて、どの派閥にも属していなくて、私心なく聖王家に心から仕えてくれるような。欲をいえば外交にも長けていて、我も我もと取り立ててくれと言ってくるようなうるさい一族郎党がいない立派じゃない家柄の人が良いんだけど――宰相に、するとしたら」 「その条件に当てはまるのは一人だけだ――が」 「が、てことは何か問題があるのね」 「ある。おそらく彼はもう聖王家に仕えるつもりはないだろうからな」 そう言って、クロムは以前イーリスの宰相であった男の話を始めた。 「彼――マクシミリアンは俺の父王の代に宰相として仕えていた男だ。だが、突如ペレジアに対して戦端を開いた父王に対して諫言したことで謹慎を命じられた。姉さんが即位してからは何度も宰相として再び仕えるよう遣いが出されたが、先の戦を止められなかった責は自らにあるのだからと招きを固辞し続けていた」 姉さん、そうクロムが口にする時にコンマ数秒だがためらいがあったことにルフレは気づいたが黙っていた。 「恐らく、二度と表舞台に立つつもりはないのだろう」 クロムはマクシミリアンに対する説明をそう締めくくった。 それでルフレは、まずは自らの目でその名宰相の人物を確かめようと一人彼に会いに行ったのだった。王都の東に位置する農村にマクシミリアンの住まいはあり、はじめてルフレが訪なった時、彼は土を耕していた。その時にはただ土と作物の話をして。次に訪れた時には季節と天気の話をして。 ――国の話をしたのは何度目に訪れた時だったか。その時になって初めてイーリス聖王家に再び仕えてくれるようマクシミリアンに乞うたルフレの言葉を何故か彼は受け、そして今かけがえのない臣としてイーリスの復興に尽力している。 「そういえば、もうクロム様から正式な求婚は受けられましたかな？」 なぜ宰相が自分とクロムが密かに交わした約束を知っているのか――そう問おうとしてルフレはやめた。 手練の外交官、イーリスの影の支配者とかつてはあだ名された人だけあって、マクシミリアンの話術にはルフレも時に飲まれることがあった。よほど心して話すまいと思っていることでも、気づくと自ら話していることがあるのだ。 まして、どこまでも真っ直ぐな（ルフレ視点）クロムの性格で宰相に隠し事ができるとは思えない。手もなく誘導尋問にかかったと見るべきだった。 「正式っていうのがどういうものかが分からないけど…たぶんまだじゃないかしら」 ただの民である自分に敬意を表す必要はなく、救国の軍師であるルフレに敬意を表すのは当然である。そう言いくるめられてしまったのは確かはじめて宰相と話した時だった。 それ以来、彼女の三倍はあろうかという年齢の彼にルフレは気安い口を聞き、宰相は彼女に対して丁重な言葉を使う――いい加減慣れてしまったルフレだったが。 「ふむ…これは余計を申しましたな。聖王代理として立たれる披露目の会にてルフレ殿との婚約発表も行うと言っておられたが」 ――聖王代理？ その言葉を耳にして、ルフレの思考が一時停まった。 クロムに想いを告げられて、ルフレがそれを受け入れた時。 ペレジアに囚われているとはいえ聖王エメリナは存命で、クロムは王子という立場だった。 それから今日に至るまで、ルフレは彼女の持てる力の全てを尽くして。イーリスを――クロムを勝たせることだけを考え。戦争を終わらせた後には戦後処理に忙殺されてきた。 あの日に通じた想いを、誓いを忘れていた訳ではない。 だが。 ――そうか、クロムはいずれ王様になるのね… その一点を忘れていた。 王子妃と王妃では、天と地ほども重みが違う。 記憶喪失で、素性の怪しい女がついて良い地位でないことぐらい、ルフレにも分かっていた。 痛みはじめた頭を押さえながら、ルフレは宰相に声をかけた。 「マックス…いまからやっぱり結婚できません、て言ったとして。クロムは…」 「認めるわけがないだろう」 「――っ！」 なんとか悲鳴を飲み込んだ。 ルフレがおそるおそる顔を上げると、先程まで宰相が座っていた筈の椅子に、何故か座っているクロム。 「えと…マックスは？」 「…おまえに話があるからと、宰相には外してもらった」 ああ怒っている。怒らせてしまった。 いつも泰然と構えていて、その感情が動くところを見たことがないと仲間たちに言わしめる彼の地雷を。なぜかルフレはよく踏むのだ。 クロムが感情を揺らす原因の大部分がルフレに関することだからだという明確すぎる理由に、彼女自身だけがまだ気づいていない。 「――それで？」 口調はどこまでも静かだが、その瞳は深い青に沈み、激情を秘めた焔が燃えている。 「ええと。その。あ、そうだ。さっきマックスと相談してたんだけど、ペレジアとの国境付近の領地替えについて――」 「今さら俺との結婚を嫌がる理由は、なんだ？」 被せてきた。 「あの、ね。クロムの奥さんになるのが嫌なんじゃなくて。お后さまにあたしがなるのは国としてかなり問題があるんじゃないかという…」 「問題ない」 ――駄目だ。言葉が通じない。 だから先に宰相に相談しておきたかったのだが、と今更悔やんでも遅かった。 「あのね、クロム…」 「断る」 「ええと…」 「駄目だ」 「………………」 「………………」 「では例えばだ。俺がもし、しかるべき家柄の娘を妻にめとるから、おまえには愛妾になって欲しいとでも言ったら――」 「まず顔のまんなかに拳を叩き込んで、怯んだ隙に鳩尾に一発。意識が朦朧としてる間に出来る限りのダメージを与えてから、さっさとイーリスを出ていくわ」 淡々と真顔で言い切った。 「…じゃなくて。妻じゃなくただの軍師として。クロムの傍に置いてもらうわけには」 「おまえに愛を告げることも、おまえに触れることもできない生殺しのような状態に俺がどれぐらい耐えられるか試してみたいのか？」 「なまごろし…？」 聞き慣れない単語にルフレがきょとんと目を見張ったが、しばらくして淡く頬を染めた。なんとなく意味が通じたらしい。 「それに、だ。おまえが他の男の妻になることにも、俺は耐えられんぞ」 「あ。そのことなら大丈夫よ。クロムの奥さんにならないなら、たぶんあたしはずっと独身だから」 「――っ、おまえは、平気なのか。それで」 自分以外の女性を妻にしたクロムの傍に、独り身のまま居続けることが。 そう言外に滲ませる。 途端、ルフレの視線がすっと冷えた。 「問題なのはあたしが平気かどうかじゃない。どうするのがクロムに、そしてイーリスにとって最善なのかを考えることよ」 がたんっ、と勢いよくクロムが立ち上がる。 すぐ前にあるルフレの顎をつかむと無理やり上向かせて視線を合わせた。 「どうしておまえはそう頭で考えたことを優先させるんだ！」 「それがあたしの役目だからよ」 自分を軍師として自警団に迎えたのはクロムだろう、そう言わんばかりのルフレの言葉。 「クロムの半身として、相棒として、クロムに足りない部分を補うのがあたしの役目なのよ」 「…ならば俺はおまえの半身として、おまえに足りないものを補う権利がある筈だな」 そう言って一歩近づくと、気づいたルフレが逃げる間を与えず噛み付くように口づけた。ルフレが押さえ込もうとしている彼女自身の心に直接訴えかけるような、熱い口づけ。 ようやく開放したルフレの、潤んだ瞳を見つめながら言った。 「愛している」 いつもは流れる水のように紡がれる筈の言葉を、何一つ思いつかないことにルフレは気づいた。普段はいくつにも分けられた思考が休みなく様々なことを考えているのに、今は全てが一つになって、ただ静かに目の前の深青の瞳に見入っている。彼の言葉を一つも聞き漏らさないようにと、耳を澄ましている。 「愛しているんだ。おまえ以外に欲しいものなど何も無い――が、俺にはどうしてもイーリスという国がついてくる。それを、おまえが重荷に思うのは無理も無いことだと思うが」 ルフレの顎を無理やりに掴んでいた手は今は彼女の頬に添えられて、両手で包み込むようにしたルフレの顔にクロムが顔を近づけると再び口付けを落とした。 「おまえでなければ駄目なんだ。俺の、妻として。俺の隣に居る女性はどうしてもおまえでなければ――」 苦しげに紡がれる言葉の合間に何度となく繰り返される口づけ。 甘い、頭の芯を溶かされるようなそれを受けながら、ルフレの頭の中で降参の白旗が上がった。 うっすらと涙を浮かべたルフレの瞳がもの言いたげに自分を見つめているのに気づいて、クロムはもう何度目か分からないキスを中断する。 今ならば、ルフレの本心を聞ける――そんな予感とともに問うてみた。 「おまえは、どう思っている。俺のことを好いてくれていると言ったのは、俺を気遣った嘘だったのか？」 目を逸らすことを許さない強い視線が彼女に注がれる。 その、深い青に見つめられて。ルフレの心の奥底にある想いが表に引きずり出された。 「――好き」 言葉と一緒にぽろぽろと、幾粒も涙が零れた。 「離れるなんて考えられない、から。どんな形でも、良いから。クロムの傍に居たい――」 震える声がそう告げる。長い睫毛が瞬く度にとめどなく涙が零れて落ちた。 そんなルフレに優しく笑いかけて、そっと涙を拭ってやると、クロムは彼女の前にひざまづいた。 クロムの突然の行動の意味が分からずルフレがきょとんと瞳を瞬く。涙の名残が二粒零れた。 「――ルフレ」 名を呼びながら彼女の左手を取る。 「はい？」 「俺の、妻になってくれるか」 「――！」 クロムの真剣な瞳に見つめられて、低い、心地よい声音でそう言われて。ルフレはようやく彼の意図を察した。 思わず背筋が伸びる。 そんなルフレの様子にクロムは一瞬口元に笑みを浮かべたが、また真剣な表情に戻ると言葉を続けた。 「俺の妻になって欲しい。これから先ずっと、俺の隣に居て俺のことを支えていて欲しい。その代わり、おまえのことは俺が生涯をかけて守ると誓う」 ルフレはクロムが取ったのと逆の手、右手で彼の頬に触れた。 「クロム――何も持たないあたしがクロムにあげられるのはこの身ひとつだけど。全身全霊をかけて、あたしもクロムを守る。生涯クロムの傍を離れない――誓うわ」 ただ『はい』とは言わないその言い様が彼女らしくて。愛しさに抱きしめたい衝動にかられたが、その気持ちを抑えてクロムは指輪を取り出した。 美しく金色に輝く指輪を、ルフレの左手薬指にゆっくりと嵌めた。 サイズを合わせたわけでもないのにその指輪は不思議と彼女の指にぴたりと嵌った。 「この指輪は――？」 花嫁の指を飾るような金無垢の指輪。 表面に施された細かな飾り彫りの中心に、浮き上がるようにして彫られたイーリス聖王家の紋章。 「ああ…これは俺が生まれた記念に両親が作ってくれたものらしい。俺がいつか伴侶となる者を見つけた時に贈るようにと教わったんだ」 そう言って、今度こそクロムはルフレを抱きしめた。 「必ず、幸せにする――」 ――姉さんの分も。言葉にされなかったその気持ちを敏感に察して、ルフレの口元にどこか寂しげな笑みが浮かんだ。 「それで、クロム様から正式な求婚を受けられたわけですな」 先ほどの会話と良く似た、しかし意味合いの異なる言葉を宰相が言った。 急ぎ決済の必要のある案件があるからと侍従に促されて名残惜しげにクロムが客間を後にして、それに替わるように宰相がまたルフレの前の席についていた。 「…あの瞳が卑怯なのよ絶対。あの青色を前にして嘘をつける人なんて居るのかしら」 先ほど贈られたばかりの金無垢の指輪――彼女の左手薬指に輝くそれに触れながら、ルフレはため息をついた。 「これは、ごちそうさまと申し上げるべきでしょうな」 「えっ、と、あたしだけ…？ていうか。マックスは構わないわけ？あたしみたいなのがイーリスの后の座に就いて」 「むしろ願ってもないことと考えておりました。なんの派閥にも属さず、他国からの干渉とも無縁な、王妃という地位に溺れることもなく、賢く、芯が強く、民を魅了するに足る器量を持った方――まさに理想ですからな」 「なんか、マックスの理想の王妃像…変よ」 「ルフレ殿の理想の宰相像もいささかずれておられるが」 お互い様と言いたいらしい。 「それに、ルフレ殿がクロム様のお傍に居続けられるのならば、王妃の地位に収まられるのが何より安全かと思います」 「と、いうと？」 「軍師やまして側室などという、軽んじられる位置に居ては、政を思うままにと望む連中に付け狙われる隙を与えるというもの。いっそこの国で最も高貴な女性の地位に就かれた方が手は出しにくくなるでしょうからな」 「ああ、なるほどね」 もしもこの場にクロムが居たとしたらそういう問題ではないと怒り出したろうが、ルフレにとっては宰相のこの言葉の方があたまで納得できるものだった。 「どちらにしろ――もう逃げるわけにはいかないんだから。腹をくくってやってやるわ」 「微力ながら、支えさせていただきます」 「ええ。頼りにしてるわよ。名宰相閣下」 そう言って微笑むルフレの顔を、宰相がどこか眩しげに見つめた。 7/14〜7/21まで拍手文だったものを加筆しました。 そうです。クロム様に指輪をもらい隊です。 一見クロム様の方がたくさん好きと見せかけて実はおんなじくらい好きあってると良いなと思ってます。 対になるはなしは⇒こちらです。【R-15】ですので。中学生以下の閲覧はご遠慮ください。
2012/7/28
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