『寝顔』










Chrom side

ぽかぽかとあたたかな陽気のとある春の日。
イーリス聖王国の王子にして、自警団団長でもある濃紺の髪の青年は、彼の軍師を探していた。

あちこち訊ね歩いたあげく、天幕群のはずれあたりの木陰で幹に背を預けるようにして、戦術書に目を落とす黒衣のフード姿が目に入った。
「ルフレ、こんなところに居たのか。明日以降の行軍予定についてなんだが――ルフレ？」
まったく反応がないことに気づき、クロムはフードに隠れて見えないルフレの顔を覗きこんだ。
そこでクロムは固まった。
長いまつげが頬に影を落としている。薄く開いた唇からは、小さな寝息。
ルフレは眠っていた。

――こいつでも、こんな無防備な顔をするんだな…

思わず膝を落としてまじまじとルフレの顔を見つめてしまう。
各地に出没した屍兵討伐のために転戦を繰り返す日々のなか、常に先頭に立って指揮を取っていたのだ。さすがに、疲れたのだろう。
起こすのも忍びなく、しばしその寝顔に見惚れた。
そうしていると、あたりまえの娘にしか見えない。いや、年頃の娘のなかでも、極上の部類に入る器量だろう。
つらつらと思考を泳がせていたクロムが、はたと固まった。

――お、俺はなにを考えているんだ。ルフレの…親友の顔かたちなど別に…なんだって良い筈だぞ。

無意識に、その柔らかそうな頬に触れようと伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
なぜ、ルフレの寝顔が好ましいなどと、考えるのか。なぜ、触れたいなどと思うのか。
後ろめたさにそわそわと目を泳がせるクロムの背後から、
「おい、クロム――」
声がかけられて。
「おわぁっ！」
クロムはあまり人に聞かせたくないような叫び声をあげた。
「すまん。驚かせたか？」
クロムが恐る恐る振り向くと、釈然としない顔を――なにをそんなに驚いたのかと――したガイアがそこにいた。
「ガイアか。俺になにか用事だったか？」
「いや。ルフレの居場所を知らんかと思って――と、そこに居たのか」
言葉の途中で、クロムの影に隠れていた、ルフレの姿をみとめた。
「おい、ルフ――」
「ままま、待て！」
「はん？なんだ、取り込み中だったか？」
「――――っ」
何故止めてしまったのか、自分でも理由がはっきりとしない。
ただ。惜しい、と思ってしまったのだ。
ルフレの寝顔を、自分以外の誰の目にも晒したくはない、と。

――何故だ？

自身に問いかけても、答えは返らない。
「その、大事な話し合いをだな…」
かわりに口からは、何故か嘘が出た。
「ふぅん。そうか、邪魔したな」
彼が時おりすることのあるにやにや笑いを浮かべ、ガイアがそう返した。その笑みには『お前らやっぱりそういう仲なのか』との意味合いが盛大に込められていたが、自覚のないクロムには通じない。
一言も発しないルフレを訝しく思いつつ、ガイアはくるりと踵を返した。
遠ざかっていくガイアの背を見送って、クロムは盛大な溜め息を吐き出した。
再びルフレの方へと向きなおる。

クロムが先程あげた叫び声にも、ルフレは目覚めなかったようだ。
すやすやと健やかな寝息が聞こえる。

――さて、どうしたものか。

どうしたもなにも、起こせば良い。さっさとルフレを起こして、用事を済ませてしまえば良い。
だが、どうにも惜しいのだった。
もう少し、あと少しだけ。見ていたいと、思ってしまう。
何故と、考えることは棚上げにして。ルフレの寝顔に再び見惚れるクロムは、しばし後に目覚めたルフレを前にして何とも居心地の悪い思いを味わったのだった。



reflet side

満月の美しい夜だった。見張りの兵が地を踏む音だけがかすかに響く夜営地を足音もなく黒い影が渡った。
影が、ひとつの天幕の前で立ち止まる。月明かりに浮かび上がる白皙の美貌――ルフレだった。
そこが目的の天幕であることを確かめて、するりと中に入り込んだ。

天幕の隙間からこぼれる月光に照らされた、年齢以上にあどけない寝顔を見つめ、ルフレはほっと、息を洩らした。
胸のなかでくすぶっていた不安も、わだかまりも一度に溶けていくのが分かる。
誘われるように濃紺の髪に手を伸ばしかけて、躊躇うように途中で止めた。
その手が、不意に引かれた。
「――――っ！」
どきどきと心臓が早鐘を打つ。
寸前で悲鳴を飲み込むルフレの身体はバランスを崩して寝台に倒れこみ、一瞬後には天幕のあるじの腕の中にあった。
「クロム…？」
音をたてないよう気遣っていたのだが起こしてしまったらしい。諦めて、ルフレは恐る恐る声をかけた。
「どこに行っていた？」
寝起きとは思えない明瞭な声でクロムが訊いた。
「ええと」
「ルフレ」
強く名を呼ばれ、ルフレが観念する。
「…………近くに屍兵の気配があって」
「………」
「大した数じゃないし、と思って」
「………思って？」
「ひとりで、ちょっと、倒しに」
クロムの口から盛大な溜め息が漏れた。
「あの、クロム」
「なんだ？」
「どうして、分かったの？」
「身体が冷えきっている。僅だが血の臭いがする」
「――ああ」
いささか寒い水浴びを我慢して返り血を流してきたのだが、まだ残り香があるらしい。
やっぱり、来るんじゃなかったわ、と。小さな声でルフレが続けた。
「それで、どうしたんだ？おまえに限ってまさか夜這いではないんだろうが…」
「――そう。だって言ったら？」
「なっ！」

塵へと還った屍兵の残骸からルフレに向かって流れ込むなにかに、右手の甲が痺れ疼いた。クロムの隣で戦っている時には一度も感じたことのない、高揚に、息が詰まるほどだった。

「というのは冗談で」
「おまえな…」
「ちょっと、顔、見たかっただけよ」

あちら側へ引きずられそうな感覚は泉の水でも、冷たい夜気でも追い払うことができなくて。
クロムの顔を見れば、落ち着くと思ったのだ。

「ごめんね。起こしちゃって」
「いや…」
「ふふ。クロムあったかい」
「俺は湯たんぽか」
甘えるようにすがり付くルフレの背を、クロムがあやすように撫でる。しばらくそうしていると、ルフレの穏やかな寝息が聞こえてきた。
クロムが掛布を引き寄せて、そっとルフレにかけてやった。



Lucina & Marc

イーリス聖王国、自警団の詰所。以前はこの自警団の軍師が使っていた私室の扉を開け、ルキナはそこで目的の相手を見つけた。
「マーク、ここに居たのですね。お母様が探していましたよ」
ルフレが愛用していた机に向かい、戦術書を広げたままマークはこくりこくりと船を漕いでいた。
「マーク？…あら、眠っています」
机を回り込んで顔を覗きこむと、思った通り夢の中のようだ。
あどけない寝顔は、幼い頃いつも彼女の影に隠れていた内気な弟をルキナに思い出させた。
ルキナの視線がマークの手元をふと見つめ、そこにある戦術書に気づくと僅かに眉を曇らせた。

帰ってこなかった父と母。その代わりのようにして唯一戻った父の神剣と母の戦術書。
マークが机に広げていたのはまさにその、未来で帰らぬ人となった姉弟の母親、ルフレの形見の戦術書だった。

悪い夢の中に居るようだった。
持ち帰ることができたのはこれだけだと、ただ項垂れたティアモの傷だらけの腕や、気丈に振る舞いながらも一杯の涙を溜めていたリズの瞳の色。強く握りしめた弟の手のあたたかさ。
縫いつけられたように一歩も踏み出せなかった――両親の形見を受け取らなければならないのに、踏み出せなかった不甲斐ない両足。
そんなルキナの横をすり抜けて、マークはためらいなく戦術書を手に取ったのだった。
「僕は――母さんのような軍師になります」
幼い、少年の声でされた宣言をルキナは呆然と聞いた。いつも、彼女の影に隠れて、彼女が守っていた筈の弟の声は、頭のなかでわんわんと繰り返し反響して、なかなか意味が掴めなかった。
マークはルキナの目の前に立ち、まっすぐな瞳で懇願した。
「だから姉さんは、父さんのような神剣の使い手に、皆を照らす聖王に――」
ぱん、と。強い音が響いた。ルキナの視界の端に息を飲むリズの姿があった。平手で思いきり殴られてマークは体勢を崩したが、すぐに立ち直りまたルキナを見つめた。頬が、痛々しく赤く腫れていた。
なにひとつ受け入れられなかった。両足は固まったまま。頭もうまく働かない。
十にも満たない幼い弟が、急に別人になったような気がした。
「マーク…どうしてそんなことを…」
はらはらと、空色の瞳から涙がこぼれる。
「止まっている暇などないからです」
ぎゅ、と形見の戦術書を胸に抱え言葉を紡ぐ。
「明日にもペレジアは国境を侵して攻め寄せてくるかもしれない。各地にあらわれた不死の異形たちについての対策も早急に打たなくては。僕たちには休んでいる時間も、ゆっくり悲しんでいる暇もないんです」
淡々と続くマークの言葉に、一体どこでそんな話をと、ティアモが呆然と呟いた。
「ルキナ姉さん、あなたが立たなくては。ファルシオンに選ばれたあなたが立たなければ――イーリスは、滅ぶんですっ！」
一気にまくし立てたマークの瞳からもぼろぼろと涙が溢れていた。
「父さんと母さんの愛したこの国も、民も、なにもかも。うしなわれてしまうんです…」
それ以上は言葉にならずに。マークは肩を震わせ嗚咽を漏らした。
「マーク…」

「そんなことには、させないよ」
凜とした声音で割って入ったのはリズだった。
「騎士団や自警団のみんなも…そりゃ、沢山帰ってこなかったけど。でもまだみんなちゃんと戦えるよ。この国だって、お兄ちゃんやルフレさんがやってたみたいに…はいかないかもしれないけどあたしがちゃんと導くよ」
だから、と、優しい口調で。
「ふたりとも、ちゃんと甘えて良いんだよ？ちゃんと、悲しんで良いんだからね？」
涙混じりの声だった。

「あれ、ルキナさんどうしたんですか？父さんに剣の稽古をつけてもらうって城に行ったんじゃあ…」
不思議そうなマークの声に、ルキナは追憶から引き戻された。
「あ。ええと、マーク。お母様が探していましたよ」
「え。母さんが？――ああっ、大変です。今日は戦術の講義をしてもらう約束だったのに、予習をしながら寝てしまいました！」
机に広げたままだった戦術書をばたんと閉じて、マークはあわあわと立ち上がった。
「ルキナさんっ、ありがとうございましたっ！では僕はこれで！！」
返事を待たずにマークは廊下へ飛び出していった。

きっと。ルキナひとりでは立ち上がれなかった。立ち上がれてもいつか、皆の期待に押し潰されただろう。
――いつか、マークの記憶が戻る日がきたら。
「また『姉さん』と呼んでもらえるでしょうか…」
駆けて行く後ろ姿を見守りながら、ぽつりとルキナはそう言った。



Family

ルフレが目を開けるとすぐ隣にすやすやと寝息をたてるルキナの顔が見えた。
きょとりとルフレの琥珀色の瞳が瞬く。
そこで、一緒に寝たいとせがまれてルフレの天幕で子供たちを挟んで家族四人で川の字に寝たのだと思い出した。
薄闇の中浮かび上がる寝顔があどけない。
ルキナの向こう側でなにやらむにゃむにゃと呟きながらマークが大きく寝返りを打った。持ち上げた手がぱふんと掛け布を飛ばす。
はだけていた掛け布を戻してやろうとルフレが身を起こすと、反対側でも同様に身を起こしたクロムと目が合った。
ルフレの表情が自然と笑み崩れる。
引き寄せられるようにクロムの手がルフレの頬に伸びて。
どちらからともなく、唇が重なった。






--END--


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ブログでぽちぽち書いたのをまとめたり加筆したりしたのです。
唐突に寝顔で連作短編したくなって。

ついカッとなって思いついたＲバージョンは⇒こちらです。【R-18】とさせていただきます。

2012/12/22