連理の枝

『連理の枝』

～イーリス編～　１３．

遡ること一ヶ月。イーリス王都の南東に位置する小さな村。
ささやかな農地に実った小麦を収穫していた男は作業の手を一度止め、ふぅと一息ついた。
夏に比べれば随分過ごしやすくなったとはいえ、日中の農作業では汗がしたたる。
手拭いで顔をぬぐい、軽く伸びをした。その視線の先に見知った人影を見つけ、男は思わず声を上げた。
「あんれぇ、ドニでねえべか」
ドニの方でもこちらに気づいたらしく、大きく手を振っている。その後ろに続く長身の男女が居た。
クロムとルフレだった。

　　　◇◆◇

クロムと離れぬよう敵の只中を駆けながら、ルフレを確かにその音を聞いた。
それは、地を揺るがすような鬨の声だった。
かつて自警団に参加したものたちと、彼らが故郷で立ち上げた自警団の仲間たちのつくる轟々と響く鬨の声だった。農民も、町民も、貴族も居る。みな、イーリスを想い、クロムに共感しルフレの指揮のもとギムレーと戦った勇姿たちだった。
なかには鍬や、明らかに料理に使うような包丁、猟につかうような弓矢、実戦には向かない細身の飾り刀を持つものも居たが、数だけで言えば十万の軍勢が敵軍を包囲するかたちで集っていた。

ギムレーを滅するというかたちで戦いが終わり、各々が故郷へ戻ってからも彼らは連絡を取り合っていた。それぞれに故郷で結成した自警団について、また未だ各地に出没する盗賊についての情報交換は主に鳩で行われた。
ルフレはこの鳩を利用して――ドニが村で飼っていた各地の仲間のもとへ飛ぶ鳩たちをつかって、手紙を送ったのだった。
自身が帰還したこと、王都で起きたクーデター、一月後に決戦があるだろうこと。全てを隠さず手紙に書いた。
元より、ギムレーとの戦いの時点でルフレは何一つ仲間に隠さなかった。邪竜を滅ぼすために我が身を捧げるつもりであるという、その一点以外は何一つ。
全てをあかし、それでも共に闘ってくれるのかと問うた。そして、皆はルフレと共に闘うことを選んだ。ルフレとはそういう人物だった。誰とも分け隔てなく接し、いつのまにか無類の信頼を得ている。それは末端の兵に至るまで変わりなく、皆がルフレのことを愛していた。
彼女が自身を賭してギムレーを滅したあともそれは変わらず、ルフレをこの世に繋ぎとめる無数のひかりとなった。
皆が知ることは噂にはならない。ルフレについての真実を知らなかったのは、この国では唯一、王都の中枢に居てぬくぬくと戦いを見守っていた者達だけだったのだ。
民たちは全てを知っていて、クロムを聖王として受け入れ、聖王妃ルフレの帰還を待っていたのだった。

十万の軍勢を目にしても光の使徒たちの戦意が削がれた様子はなかったが、明らかに動きが変わった。彼らの陣を割って背後に回ろうとしていた軍勢にだけ集中して、いや、その先頭を駆けるクロムとルフレを目指して全ての兵が殺到しようとしていた。聖痕と神剣ファルシオンを持つクロムと、傍らに寄り添うように駆ける黒衣の軍師。彼らの目的はルフレの命、それだけだった。
「母さん！」
「お父様！」
ルフレ達よりも後方を駆けていたルキナとマークは、自分たちを無視して彼らの両親の居る方角へと殺到し始めた兵たちの動きに嫌な予感を覚えながら叫んだ。

ほとんど反射のようにして魔道書から力を引き出す。ルフレの周囲に次々と魔法陣が展開され、殺到する兵達に雷が降る。乗っていた馬は槍に貫かれて斃れ、ルフレは二本の足で戦場に立っていた。両の瞳は金に燃え、ついえぬ戦意をあらわしている。共に駆けていたクロムとは、ルフレの馬が倒れた時にはぐれた。
ルフレを囲むように殺到した五人に同時に雷撃を落とした時、力を使い果たした魔道書が灰燼に帰した。素早く外套の内側から新しい魔道書を取り出す。その腕を狙って槍が振るわれ、避け切れず外套の袖が裂け血飛沫が舞う。辛うじて落とさなかった魔道書を開き、痛む腕に散る意識を集中させ雷撃を放った。
「ルフレ！！」
ファルシオンで二人同時に薙ぎ払いながら、鬼神のごとき勢いであらわれたのはクロムだった。
「お母様！」
「母さん！！」
一時ルフレとはぐれたクロムも、ルキナとマークも逆らわず敵の流れに乗った。彼らは皆ルフレだけを狙っているのだからその先にルフレは居る筈だと。そして、その考えは正しかったわけだ。
ルフレを守るようにルキナとマークが馬を寄せ、その間にクロムがルフレを馬上に掬い上げた。クロムとルフレの乗る馬を守るようにして、ルキナとマークが両脇を駆ける。向かってくる敵を残らず薙ぎ倒す勢いでクロムは馬を駆った。

途切れることなく襲い来る敵兵の波を突っ切ってクロムが駆け抜けた先に、翻る大きな旗が見えた。彼らに追いすがるようにして迫ってきていた敵兵達が、翻る旗を見て思わず停止したのが背後の気配で分かった。
旗に縫い取られた紋章――イーリス聖王家の紋章を守るようにして背中合わせにして立つ騎馬とペガサス――イーリス正規軍、近衛騎士団の紋章だった。
騎馬のまま猛然と駆け込んだクロムとルフレを受け入れて、騎士団の旗の隣にもうひとつ、旗が掲げられた。青地に銀糸で縫い取られた美しい紋章は、聖王のみが掲げることを許される王旗。イーリス聖王家の紋章だった。
「陛下、妃殿下――ご無事でなによりでございます」
荒く息を継ぐ馬を宥めながら馬首を返したクロムに声をかけたのは――
「――宰相！？」
「マックス」
クロムとルフレの声が綺麗に重なった。
「私では兵の指揮はままなりませぬので。すぐに合流できて良うございました」
そこに居るのは、グレンツェンが王都に留め置いた筈の近衛騎士団だった。
「加勢が遅れたことお詫び申し上げます。正体の知れぬ『光の使徒』たちの身柄を押さえ後顧の憂いを立つために、見極めの時間が必要でした故」
戦場に『光の使徒』たちがあらわれるまで凝っといずこかに騎士団を一万五千を密かに伏せ機を伺っていたらしい。出兵を渋る有力貴族たちの説得にも時間を要したのだとも、宰相は言った。

フレデリク率いる騎士たちと、かつての自警団員と宰相の率いてきた近衛騎士団に挟撃され、グレンツェンの私兵に隊列を蹂躙された敵陣。誰か率いているとも見えぬのに一糸乱れぬ意思のもとルフレの命だけを狙っていた一団。
クロムとルフレの見る先で、はじめて光の使徒たちは動揺していた。
訓練されていない十万を突破することは容易いが、訓練された一万五千を抜くことは容易ではない。顔を隠し信念のため闘う狂信者たちは初めて、自らの素性が暴かれることに恐怖していた。
恐怖からの決断は素早かった。瞬く間に兵は収束し、一個の巨大な鏃のようにかたちを変えると指揮系統の移り切らぬ近衛騎士団と突破し、十万の軍勢の一角を突いて逃走したのだった。脱落したもののうち幾人かが生け捕りにされ尋問にかけられたが、そもそも互いを知らぬ集団のこと、有力な情報は得られなかった。

たたかいは唐突に、収束を迎えた。

　　　◇◆◇

虹の降る山の神殿での戦いから一ヶ月。温暖なイーリスにも冬の厳しい風が吹き始めていた。
戦いのあとグレンツェンは白の塔に幽閉され、裁きの時を待っていた。

――イーリスを守る。この国を正しい方向へ導く。そのことだけに心を砕いてきた私が何故、逆賊呼ばわりされなければならない？
遠い昔、王族から臣下へと降ることを父王に宣された日のことをグレンツェンは思い出していた。
炎の台座は王の手に、ファルシオンは王太子の手に。
主が神器を選ぶのではない。神器の方が、あるじを選ぶのだ。神器の声を聞くは巫女。ナーガの血を引く斎宮の役目だ。兄王がファルシオンを手にし王太子に立った時にグレンツェンは父王から天領であったグラース平原の半分を授かり、公爵として臣に降った。彼が１４の時だった。
それから十年の後に始まった聖戦を経て、兄王が死んだ時にも再び炎の台座とファルシオンは主を選んだ。炎の台座が選んだのは未だ十歳にも満たなかったグレンツェンの姪で、ファルシオンが選んだのは更に幼い甥だった。
グレンツェンはその夜、左手に宿る聖痕を焼いた。

がしゃりと、錠の開く重々しい音がした。
「王の間へ、来ていただきます」
白の塔に入って一月になるが、罪人としてではなく貴人としてグレンツェンを扱うフレデリクが淡々とそう言った。

「領地と爵位は没収、叔父上の身柄は神殿の斎宮預かりということに決まった」
国を乱し聖王暗殺を企てたものに対する罪状としては余りにも軽すぎるそれに、グレンツェンが僅かに目を見張る。
「この通り俺は生きている――ルフレも。戦場で刃を交えてのことならば仕方がないが、ルフレが身を賭して守った人々をたとえ逆賊とはいえ極刑にはしたくない」
クロムのこの考えに多くの重臣は反対したし、誰よりもルフレが、頷かなかった。それらの意見をすべて説得するために要した期間が一月だった。
「刃を交えてならば――構わないのかな」
「なに？」
「刃を交えて後のことならば殺してくれるのかと言っている」
「叔父上」
「私は今でも間違っていなかったと思っている。その女は、イーリス王家に災いしかもたらさない」
「叔父上っ」
「兄上は間違えたのだ、その子であるお前たちも。無駄に命を散らした姉、聖痕も
ないような出来損ないの妹。クロム、お前は一番よくない。忌まわしい邪竜の裔をあろうことか聖王妃に据えるなど。あってはならないことだと、そう思うだろう？」
がたんと、クロムが玉座から立ち上がった。
「クロム――」
ルフレの声を無視してフレデリクの方を向く。
「フレデリク」
それだけで、長年使えた彼にはクロムの言わんとすることが分かった。僅かに躊躇い、しかし自身の腰に佩いた長剣を鞘ごと外しクロムに渡した。
クロムが大股でグレンツェンに歩み寄る。フレデリクから預かった長剣を渡した。
謁見の間の床は石造りで玉座の前だけ緋毛氈が敷かれている。それ以外の場所はむき出しの石のままで天井も高く、一騎打ちができないことも、ない。
すらりとファルシオンを抜き放ち、クロムがグレンツェンに言った。
「父さんは、あなたの兄は愚かなどではなかった。やり方は間違えたかもしれないが。王として、国と民のために働いた」
応えるようにグレンツェンが長剣を抜き放つ。
「民を苦しめ我が子を苦しめ、他国を蹂躙した愚かな王だ」
「違うっ」
クロムが床を蹴る。振り下ろされた神剣をグレンツェンは真正面から受けた。びりびりと長剣が震える。
「父さんは知っていたんだ。ペレジアに――ギムレーの器が誕生したことを」
「なに？」
ぎり、と刃と刃の間で力が拮抗する。
「――だから俺たちに、民たちに後顧の憂いを残さないために。ペレジアへ戦を仕掛けた」
がん、と音を響かせて刃が弾かれグレンツェンが後に飛んだ。
「決して私欲のためでも、イーリス教を妄信したためでもなかった」
追うようにクロムが床を蹴り、猛然と神剣を振るう。神剣の使い手のみが継承するその剣舞を、グレンツェンは寸前で全て受け流す。彼もまた神剣の剣技を知るものだった。
はじめて、グレンツェンの足取りに戸惑いが生じた。
クロムの動きが変わっていた。背後で凝っとふたりの戦いを見守っていたルフレは、クロムの動きの中にかつて共に闘った仲間たちの――ロンクーやサイリの使うソンシンの技や、バジーリオやグレゴの使う流派の分からぬ技がクロム自身の剣技として昇華し使われていることに気づいた。
次第にグレンツェンが押され始めた。それはクロムの剣技のたえでもあり、彼の言葉のためでもあった。グレンツェンの長剣が弾き飛ばされた。息を乱す喉下に突きつけられる神剣。
「さあ、早く貫くといい」
笑みさえ浮かべて、グレンツェンが言う。
「私は何も知らない愚か者だった。お前はそう言いたいのだろう？そんな人間を生かす意味はない。はやく、殺せば良い」
「あなたは何も分かっていない」
「また、その言葉か」
父に、姉に、そして兄に言われ続けたことば。グレンツェンを外に追いやる、彼が愛されていない証のことば。
「あなたは誰よりも愛されていたのだと、何故分からない。愛されていたから全てから遠ざけられたのだと、何故分からないんだ」
悲しげにクロムは言った。神剣を持つその手に、ルフレがそっと手を重ねる。
「なによりも死を望むあなたに、生きることを強要する。それが、あなたに与えられる罰よ」
真っ直ぐにグレンツェンを見つめて、感情の見えぬ冷たい声でそう言った。
「成程――生き恥を晒せと、そういうことか」
「叔父上！」
何故分からないのかと、クロムの声はそう言っていた。
「では仰せに従おう――陛下」
台詞を読み上げるように淡々とした声音がそう言った。

　　　◇◆◇

王宮の南端に位置するバルコニーは王家が国民と繋がりを持つための数少ない窓口のひとつだ。ルフレがクロムと共にそこに立つのは、数年前、婚礼の儀の時以来だった。あのときの彼女には過去の記憶はなく、国民もまたルフレの出自を知らなかった。今、ルフレ自身がルフレのことを知り、国民が彼女の中に流れる血筋の意味を知ったいま。再び王妃としてこの場に立つ日が来るなどと、当のルフレ自身が一番想像しなかったことだろう。
南向きにしつらえられたバルコニーからは燦々と光が差し込み、外の様子は伺えない。わずかに聞こえるざわめきが、ルフレの心を不安にさせた。
隣に立つクロムを見上げる。いつも変わらずルフレを安心させる笑みを浮かべたクロムが、差し出した右手をルフレは取った。クロムに引かれるままバルコニーに歩み出る。
クロムとルフレが姿をあらわすと、しんとあたりは静まった。
痛い程の静寂にルフレがクロムの手を強く握り締める。クロムが優しく手を握り返した、その時。
割れんばかりの歓声が、巻き起こった。
クロムとルフレの名を呼ばう声が重なり合い、万歳の声も聞こえる。
ルフレの頬を涙が一筋こぼれ落ちた。
ようやくここに、クロムの隣に帰ってきたのだと。ルフレはそう思った。

天にあっては比翼の鳥
地に降りては連理の枝ならん

- - end - -

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おわ…おわりました。いつ空中分解するかと思いながら書いていたお話がほんとうに終わりました。
ほんとうは長々とあとがき蛇足＋クロルフがいちゃついてるだけのおまけも一緒に上げたかったのですが時間切れ。
日付が変わらんとしているので。また後日。です。
ともあれここまで読んでくださりありがとうございました！
この後は、短編を何本か書いて。舞台は五年後に移ります。より深まる捏造の予感。

2012/12/8