『連理の枝』





〜イーリス編〜　１．




ペレジア王都からイーリスとの国境までの道のりをクロムたち一行は、ペレジア産の奇妙な四足獣の背に揺られ進んだ。背にこぶを持つこの獣は駱駝と呼ばれているらしい。砂漠地帯のこのあたりでは、馬の脚が砂に取られ効率が悪いし、馬の生態そのものがこの国の気候には合わない。それでこの地域では移動手段として駱駝を使っているようだった。

ペレジア王都に向かう道中には見られなかった緑の芽吹きがあちこちに見られる。
既に可憐な蕾をつけているものもある。
この国は、ゆるやかに変わろうとしているのだった。

エードラムが寄越した護衛たちとは砂漠と緑との境界で別れた。ダルとディーネともそこでお別れかとルフレは考えていたのだが、どうやらイーリスまで着いてくるつもりらしい。『連れて行け』とはその意味だったかと、今更ながらにルフレは気づいた。
工程は徒歩に変わり、日が傾き始めた頃に国境付近の森へとたどり着いた。
そこで、既に伝令から事の次第を伝えられていたヴェイク、ティアモ、スミアと合流した。ディーネの顔を知るスミアを宥め、帰還したルフレとの再開を済ませ、彼らは国境を目指した。
国境、といっても警備兵の守る関所ではない。夜陰に乗じて国境線を越えイーリスに入るという意味だ。
夜目が利き道も良く知るガイアが先導する形で彼らは進んでいった。
灯りをともさぬ行程だったが、幸い月の明るい夜のため歩くのに支障はなさそうだ。

「あたしが何の血を引いているのか、いくら隠してもいずれイーリスの人々にも知れるわ」
前を向いたまま歩調はゆるめず話すルフレ。
「それは先日聞いたな」
同じく、先導するガイアを見失わないよう、また夜道に足を取られぬよう気を配りながら淡々と返すクロム。
「ペレジアには新しい宗教が必要なのよ」
「それも、聞いた」
「あたしがギムレー教を統べるのが一番うまくいく手なの。あの国の混乱を収めて、この先ずっとイーリスに仇なさない国にしてゆくために。そんな人間がイーリスの聖王妃の座にいられる筈がないでしょう？」
「そこが納得いかんというんだ」

「やっぱり父さんの隣には母さんが居ないと」
ルフレとクロムが歩くその後方に両親を見つめうんうんと頷くマークの姿があった。
「あのマーク…でもいまお二方は仲違いをなさっているのでは」
止めた方が、とはらはらするルキナ。
「そうですか？」
「はい」
「父さん、母さ〜ん。もうすぐ国境ですから喧嘩は中断してくださーい！」
そういう意味ではなかったのだが、とルキナは小さくため息をもらした。

その声が届いたのか、クロムとルフレの足が止まった。
いや、そうではない。先をゆくガイアが歩みを止めたのだった。
その視線の先の木立から、月光を鈍く反射する何かが放たれた。
真っ直ぐに自らに向けて放たれた矢を払い落とすべくクロムがファルシオンの柄に手をかけたが、何故か神剣が抜かれることはなかった。
クロムの前に庇うようにして立つ、紺色の長髪がふわりと揺れた。
クロムに届く前に矢を叩き落としたルキナが睨み据える先で、木立の上から落下する影があった。
ガイアの放った小刀を肩に受けた諜者が地面に叩きつけられうめきをあげた。
その喉元にルフレが切っ先を突きつける。
「この矢羽の形状――ペレジアの矢のようでございます」
ルフレの背後からディーネの淡々とした声音が告げた。
ルフレの琥珀色の瞳がす、と細められる。冷酷な光を宿して諜者を見下ろす。
「あたしたちが国境を越えたことをグラース公に伝えるのがあなたに課された役じゃないの？」
形の良い唇が薄く笑みをはく。
「ああ。行きがけの駄賃を狙ったのかしら？」
ルフレは諜者に向けていた刃を下げた。
「…帰って伝えなさい。この国の真の主が帰還した、と。あと。素直にごめんなさいが言えるなら命だけは助けてあげるって」
そう言われ、諜者は右肩を庇うように押さえたままじりじりと後退してゆき夜の闇の中へと消えた。

「逃がしちまって良かったのかい？」
潜む者が他に居ないことを確認し終えたガイアがルフレにそう聞いた。
「あたしたちがイーリスに戻ったことはいずれ知れるわ。なら――」
「知られているという前提で策を立てた方がやりやすい、か？」
言いながらガイアは飴を口に放り込んだ。
「そ。ささやかな宣戦布告よ。これで、どう出てくるか…素直に謝ってくれれば良いんだけど」
「僕も一回会っただけですが。あれはそういう素直な人の面構えじゃなかったです。期待しない方が良いですよ母さん」
ちゃっかりとガイアにもらった飴を舐めながらマークがそう言った。



白馬から飛び降りた娘が一目散に駆けてくる。きちんと巻かれた金の巻き毛がやわらかく揺れ、陽光を反射してきらめいた。
「リズ！」
目指す相手を見つけ抱き締めると、感極まったようにそう言った。
「マリアベル！迎えに来てくれたんだね！」
「よくご無事で！リズがペレジアで行方不明になったと聞いて、わたくし、わたくしっ！」
「ごめんね心配かけて…」
目に涙を浮かべながら、二人は抱き合って再会を喜んだ。

「まずは、わたくしどもの屋敷へ。安心してくださいまし正義はこちらにあるのですから、きったねえ敵の手が迫っても残らず追い返してさしあげますわ」
涙を拭い笑みを浮かべるとマリアベルはそう言った。



クロム達がマリアベルの屋敷に向かえられて数日。王都から一通の書簡が届けられた。
蝋によって封を施された書簡。その封を切ることなくマリアベルはそれをクロムに渡した。
そこに捺された紋に目を留めてクロムの眉間に皺が刻まれた。
それは、今ここに居るクロムとリズ、それに王城に居るあと一人にしか使うことは許されぬ筈の紋章――イーリス聖王家の紋だった。
ならばこれは幼いルキナの名の下に記された書簡ということになるが、ようやく読み書きを覚えはじめたばかりの彼女にこのような正式な文書を作ることなどまず不可能で。
「グラース公からの宣戦布告、かしらね」
クロムの視線の先にあるものを同じく見つめていたルフレがぽつりとそう言った。

一月の間に足元は磐石に固めた。今更戻ってこようと来るまいと、居場所などありはしない。

これは、そういう宣言だった。

クロムの無骨な指先がためらいなくその封を切った。






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王都からのお手紙の中身とかマリアベルさんの旦那さまとか息子さんとかは、また来週です。

2012/9/22