『連理の枝』





〜ペレジア編〜　１．




ルフレが目を開けると、窓から射し込む午後の柔らかな日射しが視界に入った。
眠りについてからそう時は経っていないようだ。
――おなか、空いたかも。
そのせいで目覚めたのかとも思ったが、まだ睡眠を欲する身体に、何かが違うと感じた。
理由のわからない胸騒ぎにゆっくりと身を起こし、扉の向こう側を、視た。
――３…４人。パラディン、アサシン、ダークマージ、それから…盗賊…？でも服装はごく普通の従騎士と従僕。服の下に武器。真っ直ぐこの部屋を目指してくる。
金色に輝く双眸が細められる。
この部屋は、城内でも最も奥まった場所にあり、一般の兵や従僕が入って良い場所ではないし、迷わずたどり着ける場所でもない。
第一、服の下に暗器や闇の魔道書を仕込んだ従僕や侍女など居よう筈もない。
どう考えても怪しすぎた。
次に部屋の中を見渡すと、すぐに目的のものが見つかった。
部屋の一角に置かれたテーブルの上、畳んで置かれた黒の外套と、その隣に並んだ魔道書と剣。
――いまの体力で剣は扱えない。魔術を展開出来るぐらいにはあたまは起きているけど、室内で４対１ではあまりにも不利…
目まぐるしく思考を走らせる間にも、侵入者はこの部屋を目指して近づいてくる。
――仕方ないわね。
ひとつため息をつくと、ルフレは再び寝台に横になった。成り行きに任せることにしたらしい。
それに、と思う。
――あたしの勘が正しければあの盗賊は…
よく知った人物のような気がするのだ。
なぜ、彼が侵入者の手助けをしているのかは分からないが。
そう考えながら瞳を閉じた。

程なく扉が開き、足音を忍ばせた数人が部屋に入ってくる気配。
その内の一人が寝台の傍らまで来て立ち止まる。
目を閉じたまま、相手の隙を探っていたルフレは違和感に気づいた。
眠っている筈の彼女を起こすでもなく、拘束しようとするでもなく、殺意を向けるでもない。
――これは、寝たフリに気づかれているとしか。
思えなかった。

仕方なく目を開ける。
その視界に映る一人の男。
鍛え上げられた長身。壮年の部類に入る顔立ち。青銀の髪は短く刈り込まれて、夜と昼の間の空の色をした紫紺の瞳。固く閉じられた口元が生真面目な性格を表している。
そしてなによりも――
――隙が、見当たらない。
狸寝入りを見破られる筈だった。
これでは不意をついて武器を奪うことも、逃げることも難しそうだった。
「イーリス聖王国王妃、ルフレ様――」
男が初めて口を開いた。
低い、こんな状況でなければ耳に心地よく響くだろう声音。
「人違いよ、て言ったら見逃してくれるのかしら？」
その言葉に男がふ、と笑みを浮かべる。
その表情を遠い昔にどこかで見た気がした。
「いや。人違いである筈がない。…母君に、良く似ておられる」
その言葉にルフレは思わず寝台から身を起こした。
「――！あなたは、あたしの母を知っているのね」
先程よりもじっくりと、男の顔を見た。
その瞳と髪の色、声、一瞬だけ見せた笑み。
記憶のパズルがカチリとはまった。

ルフレが覚えている彼よりも、十数年、年を重ねてはいるが。
「ダル…なの？」
「お久しぶりです。ルフレ様」
そう言って男は丁寧に礼をとった。
「ダルがどうして…こんな賊の真似事みたいな…」
言いながら、ひとつの可能性に思い至った。
「――エドが、いまのペレジア国王なの？」
ダルの口元に先程よりも深い笑みが広がる。
「昔と変わらず聡い方だ」
すぐさま笑みを消して、言った。
「ペレジア王、エードラム陛下の御命によりお迎えに上がりました」
「お迎え、て言われても…ええと、嫌だ、てあたしが言った場合は」
「致し方ない。力ずくでお連れする」
それはできれば遠慮したい。
ちらりと、ダルの背後に控える三名に順に視線を送る。
静かに控える従僕二人と侍女一人。
そのうちの、明らかにルフレの視線を避けるようにしている方の男を更に数瞬見つめたが、諦めたようにダルに視線を戻した。
「どうせ連れていかれるなら、自分の足で付いていくわ」
「では、こちらの用意した衣裳に着替えていただこう――くれぐれも、おかしな真似は」
「しないわよ。いまのあたしの状態で、あなたに勝てる見込みはないもの」
「回復されてから、一度立ち会いを願いたいものだが」
「ふふ。弟子の成長に感激の涙で前が見えなくなること請け合いよ？」
「お話はそれぐらいになさって…」
背後に控えていたうちの、侍女姿の女が進み出た。その手にはペレジアの貴婦人が身に付けるような衣裳と顔を隠すためのヴェール、それと首を飾るための金の輪。
女の方を見たダルの表情に苦いものが混ざる。
なにか言いかけて、やめた。

女官姿の女が寝台の脇まで歩み寄ると、天涯から下がる沙幕を完全に下ろした。
手に持っていた衣装を寝台に置く。
「お手伝いをさせていただきます」
「着替えぐらい一人でできるわ」
国で最も高貴な女性にあるまじき発言にも、女は眉ひとつ動かさなかった。
「では、こちらの首飾りだけは、先に着けさせていただきます」
訝しく思うルフレの華奢な首に、黄金細工の首輪が巻かれ、うなじの辺りでかちりと留め金の留まる音がした。
あつらえたようにぴたりとはまった首飾りの、ひんやりとした感触。
ざわりと、言いようのない感覚にルフレの肌が粟立った。

――なに？

金属の冷たさのせいでは断じてない。総毛立つような悪寒と、不可思議な脱力感。
首に手を回して留め金を探すが見つからない。はじめからなかったかのように、消えているのだ。
ふと、以前に一度だけ書物で目にした魔具のことを思い出した。
「封魔の首枷…？」
力ある邪術師にだけ生み出せるという、身に着けたものの魔力を封じる魔具の名を、呟いた。
「では、お召し替えを願います」
ルフレの呟きを無視するかたちで、淡々と女は言った。
なにか、大きな手に囚われていくような不安を感じながら。ルフレはゆっくりと着替えはじめた。
表情を消したその頭の中でめまぐるしく多くの可能性がトレースされ、ひとつにまとめ上げられていく。
ペレジアで起きた反乱、クロム率いる正規軍が城を後にして程なく現れたペレジアからの使者。そして、彼女の魔力を封じる首枷。
ペレジアで起きた反乱は、ルフレが帰還する前に起きたのだから関連性があるとは考えにくいが。時期が合いすぎているのが気になった。
――全てが仕組まれているのだとしたら…
ギムレー教団、その名前がルフレの頭をよぎる。
邪竜が完全に滅びた今、器たる自分になんの価値を見出しているのかは分からないが。ルフレの帰還そのものにギムレー教団が関わっている可能性もあった。
それにしても…
――あまりにも、反応が早すぎる。
イーリス側に内通者が居るのかもしれなかった。

今も城内のどこかに居るのだろう、彼女の小さな娘のことを思う。
――ひと目、会いたかったわね。
彼女には危機が及ばぬことを、祈った。



　　　◇◆◇



「本っ当に遅いです！！！…………だめです。もう待てません」
言うが早いかマークは勢いよく椅子から立ち上がった。
随分と前に空にした茶器がかちゃんと音を立てる。
「マーク、いけません」
「ルキナさんはどうしてそう落ち着いていられるんですか！！このまんまじゃ夜が明けちゃいますよ！！！」
確かに、客人用の控えの間にある大きな窓から見える外は既に暗く、微かに虫の鳴き声が聞こえる。
「でも、お父様とお母様の邪魔をしては…」
なにかもごもごと続けるルキナをマークが手で制した。
「？マーク、どうかしましたか？」
見上げたマークの顔の真剣さにルキナも黙る。
いつの間にか聞こえなくなった虫の音。
彼の瞳は静かな金色に輝いていた。

「………ルキナさん。どうやら僕たちは囲まれているみたいです」
「――え？」
「ファルシオンは、持っていますね」
「あの、マーク？」
「僕が雷撃で加勢しますから、ルキナさんは囲みを突破してください」
「マーク！」
「早くしないと敵が突入してきます。気づかれていない今の内にこちらから打って出るのが有利です」
「マーーーーク！！」
弟の両肩をつかんでがくがくと揺さぶった。
「ここはイーリスの城ですよ。敵とは、何のことですか」
「そんなことは僕にも分かりません。ですが、扉の外と窓の下に、武器を持って殺気を放つ人たちが居るのは事実なんです」
ルキナの両手を掴んで、真正面から姉の顔を見下ろす。普段の彼からは考えられない淡々とした口調で言った。
「理由は後でいくらでも考えましょう。今は、生き残らなくては。敵の数は扉の外に７人、窓の下に――５人です。僕とルキナさんが力を合わせれば勝てる筈です」
「扉と窓、どちらから行きますか？」
腰に帯びたファルシオンを抜き放ちながらルキナが言った。
「扉から。母さんのことが気になります。ルキナさんは母さんの居る部屋の場所は分かりますね？」
「はい。お母様が王妃の間にいらっしゃるのなら」
「危険は伴いますが――囲みを突破してその場所を目指しましょう」
言って、マークは扉に手をかけた。

「マーク、離れずついてきてください」
ルキナがファルシオンを静かに構えるのを目の端に捉えながら、マークが勢い良く扉を開いた。
それと同時にルキナが駆け出す。扉のすぐ手前に居た２人をファルシオンで薙いだ。手元を斬られた二人が獲物を取り落とす。
不意打ちに怯む残る５人の内、背後に居た弓兵２人をマークの雷撃が正確に襲った。慌てて剣を構えなおす３人の真ん中にルキナが斬りかかる。一合、それで相手が倒れ右側から襲い掛かったもう一人を返す刀で薙いだ。背後から撃ちかかる残る一人を迎え撃つために振り返ったルキナの目の前で、雷撃に打たれて敵は沈んだ。

「ルキナさん、行きましょう」
魔力を放った余韻でマークの髪がふわりと舞い上がる。
一瞬だけ視線を合わせると、ルキナは軽く頷き、駆け出した。

やけに静かな城内を駆け抜ける。幸い、誰にも会わずに白金の間の前までたどり着いた。
「――誰も、いません」
息を乱しながらマークが言うのを待たずルキナが扉を開いた。
しん、と静まり返った室内にはマークの言葉通り人の姿はないようだ。
寝台の方に歩み寄ってみると、使われた形跡がある。その枕元にきちんと畳まれて置かれた夜着が目に入った。
振り返って、部屋の中ほどにあるテーブルにルキナは目を留めた。
「マーク、あれは」
ルキナの後に続いて部屋に入ったマークも気づいたようだった。
「はい。あれは母さんの…」
二人には見覚えのある、マークが身に着けているものに良く似た漆黒の外套だった。

かちゃりと、再び開いた扉の音に二人は同時に振り向いた。
「――あなたは」
ルキナが言う。そこには幼女を抱いた若い女の姿があった。未来の世界で、ルキナが良く見知った乳母の顔だった。その腕に抱かれて眠る幼女の髪色は濃紺色、今は閉じられた目蓋の下にはルキナと同じ空色の瞳が隠されている筈だ。
女に続いて室内に入ってきた男を目にして、ルキナがその名を口にした。
「グレンおじさま…？」
その呟きを耳にして、グレンと呼ばれた男は不快そうに眉をひそめた。
恐らくクロムとそう変わらないだろう長身、大貴族が身につけるようなさりげなく金のかかった服装、淡い金色の髪、瞳の色は緑柱石のような緑だった。
どこかクロムに似た姿の男だった。その身に纏う雰囲気はもっと成熟して、どこか大人の色香を漂わせているが。
「そういえば、未来からきたルキナ、と名乗っているのだったか？」
低く響く甘い声音でそう言うと、手に持っていた長剣の切っ先を眠り続ける幼子の喉元に突きつけた。
「その言葉が真実かどうかに興味はないが――とりあえず、武器を捨ててもらおうか」

その言葉に呆然とするルキナに小声でマークが話しかける。
「ルキナさん、知り合いですか？」
「お父様の叔父にあたる方です。グラース公爵グレンツェンさま。イーリス最大の穀倉地帯の半分を領地に持つ筆頭公爵の地位にある方です。未来でも、おそらく現在でも」
「なるほど…ではクーデターでしょうか」
「そんな、おじさまはそんな方ではありませんよ！」
「でも現に小さいルキナさんを人質に取っているではありませんか」
こそこそと話しつづける二人に業を煮やしたグレンが言った。
「私はそう気が長い方ではない。もう一度言う、武器を、捨ててもらおうか」
その言葉にルキナがファルシオンを床に置き、マークも魔道書と剣を外して床に置いた。
「そのまま、壁際まで下がれ――そう、いい子だ」
しぶしぶといったマークを促して、二人は壁際まで下がった。
「では、死んでもらおうか」

グレンのことをすがるように見るルキナと天を仰ぐマーク。
ルキナにしか聞こえない微かな声音が言った。
「魔道書なしだと威力も狙いも定まらないから本当はやりたくないんですが…目くらましぐらいにはなる筈です。ルキナさん、行けますね」
「はい――いつでも」
そう言ったルキナの顔にもう迷いがないのをちらりと見てから、マークは魔力を放つ為に意識を集中させた。
次の瞬間グレンとの間にまばゆいばかりの雷撃が走った。
怯むグレンを視界におさめながら、ルキナがファルシオンの元まで走る。飛びつくようにしてファルシオンを拾い上げると起き上がる勢いでグレンに斬りつけた。
キィンと、精錬された金属同士がぶつかる澄んだ音が響く。一度距離を取ってから再び斬り結ぶ。
「――あっ」
ルキナの小さな悲鳴と共にファルシオンが弾き飛ばされた。
彼女の目で見ても何が起きたのか分からない、さして力を込めたとも見えない絶妙の角度で叩き込まれた一撃だった。
グレンの返す刀がルキナを薙ぐのを寸前でかわす。
顔の横に長剣を構えそのままルキナを貫こうとしていたグレンが、背後に飛びのいた。
その間隙を正確無比な雷撃が襲った。

「ルキナさん！！」
先ほどの魔道書を介さぬ魔力の放出で息を乱すマークの手に、サンダーの魔道書。反対の手には漆黒のローブと剣が抱えられている。
「マーク！」
「今は、逃げましょう。この状況では分が悪すぎます」
「でもっ！」
「早く！！！」
体勢を立て直したグレンを牽制しながら彼に似合わぬ大音声で叫ぶ。その声音に押されるようにルキナはマークの隣まで下がった。
魔道書を離れた魔法陣がマークの周囲に展開される。
一際大きな雷撃が部屋を駆け巡った後には、二人の姿は消えていた。



　　　◇◆◇



頭上から降り注ぐ矢の雨をティアモの槍がはじき落とした。ぐるりと円を描くように回していた槍を構えなおす。
「ティアモ！」
今まさにペガサスで飛び立とうとしていたスミアが悲鳴のような声で親友の名を呼んだ。
「早く行って！一刻も早くクロム様にこのことをお知らせして！！」
振り向かず、ティアモが叫んだ。
クロムの名を聞いて、今にも泣きそうだったスミアはぎゅ、と唇をかみしめた。その瞳に浮かぶのは、迷いの消えた真剣な光。
ペガサスを促すと今度こそ飛び立った。

「すぐに、援軍を連れて戻ってきますから！だから、どうか無事で――」
ぐんぐん距離を稼ぐペガサスの背からかけられたスミアの声が、最後は小さく途切れて消えた。

無事にスミアが飛び立ったのを確認してからティアモは自らの退路を求めて駆け出した。






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クロルフサイトなのに、クロム様が出てこないという大失敗。

2012/7/14