連理の枝

『連理の枝』

～ペレジア編～　２．

巡回する兵士たちの隙をついて城門を目指す。
先ほどまでの戦闘などなかったかのように城内は恐ろしく静かだった。
――駄目とは思ったけど、やっぱり門の守りは固いわね…
高く巡らされた城壁の、城門からは死角にあたる位置からそちらを伺う。
ティアモは知らず手に持つ槍の柄を握りしめていた。

ギムレーが滅びて一年。イーリス城の守りの要である天馬騎士団は未だスミアとティアモの二人だけだった。
天馬と心を通わせる資質を持った人間が少ないのも一因だったが、なによりも、自らの半身とも呼べる天馬に出会うこと、そのこと自体に時間がかかるのだった。
幸いスミアには、一目で天馬騎士の資質を見抜く才があったので、徐々に志願を募ってようやく十数人。天馬騎士の候補者たちと共に今は王城の守護にあたっていた。

その半数に、裏切られた。
天馬での定時巡回に出るその直前だった、一斉に弓矢が向けられたのは。
その状況が信じられないというように呆然とするスミアを叱咤して天馬騎士団の詰所から城壁に向かって駆け、伝令としてスミアを逃がし、ティアモ自身の天馬も空に逃がした。
矢の雨の中、天馬に乗っての脱出は自殺行為だったからだ。

そして今、ティアモは一人退路を求めて城内を移動していた。
背にした城壁を見上げる。
木々を伝って上まで登れたとしても、これほどの警戒では当然、城壁の上にも見張りが居るだろう。
また見張りの目をかいくぐったとしても、その先にあるのは広大な空堀だ。なんの道具もなく越えることは難しい。
諦めるわけにはいかなかった。
自らの油断で、とティアモは思う。
自らの油断でクロムから留守を預かっていたイーリス城を、何者かも分からぬ敵の手に奪われてしまったのだ。再び取り戻すまではなんとしても生き残らなければならなかった。
そして。
家で彼女の帰りを待っているだろう夫のことを思う。
なにやら張り切って夕飯の支度をすると言っていたから、きっと今ごろは彼女の帰りが遅いのに腹をたてていることだろう。
城壁の向こう、イーリスの城下町には争いの気配がないことが、せめてもの救いだった。

「考え事は終わったかよ？」
不意に至近距離からかけられた声に、ティアモは寸前で悲鳴を飲み込んだ。
「ヴェイク…」
信じられないといった口調。
気を張っていた筈のこの状況で接近に気づかない相手。いつもあまりに傍に居すぎてすっかり馴染んでしまった気配の主――彼女の夫、ヴェイクだった。
「どうして」
「ここに居るかって？そりゃあ晩飯の支度も終えたのに肝心の嫁が帰ってこねえで、その相棒だけが飛んできてみろ。探しに来るに決まってるだろーが」
「あ…」
では、彼女の逃がした天馬はヴェイクの元へ駆けたのだ。緊迫したあの状況で、ただ逃げてとしか言えなかったと言うのに。
「矢傷だらけのくせに触らせもしないから、手当するのに苦労したぜ。あいつ相当に俺のことを嫌ってるな」
激しく抵抗されたことを思い出したのか、苦々しげにそう言った。
「矢傷って」
「大丈夫だ。全部かすり傷だった。無理矢理消毒して傷薬だけつけてきたよ」
その言葉にティアモがほっと息を吐き出す。
そんな妻の頭にヴェイクがぽんと大きな手を置いた。
「そんな顔すんなよ。家に帰ればすぐに会えるぜ」
夫の顔を見上げてティアモが言う。
「でも、どうやって脱出するの？」
そもそも彼はどうやってここに来たのかと、その時に気づいた。
「安心しな、抜け道をひとつ知ってるんだよ。またそこを通って行けば…」
そう言いながら利き手に持っていた斧を肩にとんと置いた。

――ゴトン。

なにか大きな音がした。
おそるおそる背後を見ると、柄から外れた巨大な斧の刃が地面に突き刺さっていた。
「なんだ、いまの音は！？」
「向こうの方から聞こえたぞ！！」
どこか遠くから叫び声がする。
こちらに向かってたくさんの気配が近づいて来ていた。
「ヴェイク…」
「あ～、とりあえず、逃げるぞ」
落ちた刃をひょいと拾い上げると、気配の濃密な方を避けて駆け出した。

　　　◇◆◇

マークの放った雷撃の魔法を目眩ましにして、白金の間の窓から脱出したルキナとマークは外壁を伝いながら中庭に着地した。
「こちらです、マーク」
広大なイーリス城を文字通り自らの庭として育ったルキナの導きで、巡回する――しかし近衛兵とは異なる鎧の兵士たちの目を避けながら、ようやく城壁の見える場所までたどり着いていた。
「間違いなく城門は見張られていますよ。以前ルキナさんが使ったという父さんが開けてしまった城壁の穴に向かいますか？」
「いえ、あそこは…装備がなければ降りられません。あれは見張りがほとんど居ない以前のイーリス城だからこそ使えた手ですし。他の脱出法を探しましょう」
城壁の外はすぐに巨大な空堀になっている。道具を使って降りたとしても城壁の上に見張りが居るだろう今の状況では危険すぎた。
「では……あれ？」
そう言って、マークが黙った。
「マーク、どうかしましたか？…あ」
マークの視線を追っていく内にルキナも気づいた。

「あれは」
「ヴェイクさんとティアモさん、ですね」
兵舎の立ち並ぶ一画に設けられた小さな礼拝堂の様子を物陰から伺うヴェイクとティアモの姿があった。
ルキナとマークが近づいていくと、あちらも気配に気づいて振り向いた。
「「ルキナ、それにマークも」」
見事にハモった。
「おまえら帰ってきてたのか」
ヴェイクが言った。
「母さんが戻ったと連絡がありましたので」
そう、マークが答えた。
ギムレーが滅びた直後から、大陸中で異常気象や天変地異が続いていた。
ルフレが帰還するまでは、という名目でイーリス城に客人として滞在していたルキナとマークはそんな転変地異の一つ、王都の東で頻発する竜巻の原因調査のために１０日ほど前から城を留守にしていたのだった。
「クロム様は…あなたたち二人はまだ戻っていないとおっしゃっていたのに」
マークの言葉を聞いて、ティアモが不思議そうに呟いた。
「え。でも私たちはお父様の指示で、客間でお母様の治療が終わるのを待っていたんですよ」
同じく不思議そうに、ルキナが言う。
「――これは。もしかしたらルキナさんと僕はこの城に帰った時から敵の罠に落ちていたのかも知れませんね」
ぽつりと、マークが言った。
「相談ごとはここを出てからにしねーか？今は周り中敵だらけだろうが」

「…確かにその通りなのですが」
ルキナが言うと。
「ヴェイクさんに言われると何か傷ついたような気持ちになるのは何故でしょうか」
マークが続けた。
「お前ら…無事に脱出できたら覚悟しとけよ」
そう言って、ヴェイクは斧の柄を肩にトンと置いた。

――ガコン。

何か大きな音がした。
「おい、今の音はなんだ！？」
「礼拝堂の方だったぞ！！」
ばたばたと兵士たちがこちらに集まってくる気配。
「「ヴェイクさん…」」
ルキナとマークがなんとも言えない目線をヴェイクに向ける。
「だから、あたしが目貫をちゃんと締めてあげるって言ったのに」
ため息まじりにティアモが言った。
「うっせー！！自分の獲物ぐらい自分で管理できんだよ」
「できてないじゃないの！！」
「…とにかく、逃げるぞ」
無理やりごまかした。
「おい、マーク」
「はい」
と素直にマークが返事をする。
「あの礼拝堂の中――人は居るか」
「いえ…誰も居ませんが」
「じゃあ、行くぞ」
そう言われて、不思議そうな顔をしたのはルキナだった。
「あの中に、抜け道があるらしいのよ」
ティアモが答えた。
その間にも敵兵が迫ってくる。
「では、中に入るところを見られては困りますね」
そう言って、マークが魔道書を構えた。
「とりあえずサンダーで弾幕を張ります――後で抜け道を発見される恐れはありますが。仕方ありません。今は、逃げることを優先させましょう」
兵舎の間から現れた数人の兵達に向けて雷撃を放った。
続けて数回、周囲に雷撃を放つ。
まばゆい雷光にまぎれながら、四人は礼拝堂に駆け込んだ。

どこまでも続く地下道をマークの作り出した小さな明かりを頼りに抜けると、そこは王都の中心に位置する大聖堂の裏だった。
ヴェイク、ティアモ、ルキナ、最後にマークの順で地下道を出る。
全員が揃っているのを確認して、ヴェイクが出口を再び塞いだ。するともう、大聖堂の外壁のどこに抜け道があったのか、見た目には分からなくなった。
「それにしても…ヴェイクさんはどうして城からの抜け道を知っているんですか？」
ルキナが不思議そうに訊ねた。
「昔、な。ガキの頃に城を抜け出してきてたクロムが帰る時、こっそり後をつけたことがあるんだよ。実際に使ってみたのははじめてだが――忘れずにいて助かったぜ」
「その話、あたしもはじめて聞くわ」
そう、ティアモが言う。
「あたりまえだろーが。うっかり知っちまったとはいえ、俺なんかが知ってて良い情報じゃねえからな。こんなことでもなけりゃ墓場まで持って行ってるところだよ」
「でもそのヴェイクさんの好奇心のおかげで僕たちは救われたわけですからね」
「おう…イマイチ褒められてる気がしねえが。感謝しとけよ」
ヴェイクはそう言いながら、再び外れてしまった斧の刃を柄に取り付けるために格闘している。
「…あたしがやるわ」
今度こそティアモに奪われた。

「キミたち…こんな夜更けにこんなところで揃って何をしてるんだい」
「「ソワレ」」
「「ソワレさん」」
四人の視線の先には燃えるような赤い髪をした女性――ソワレが立っていた。
今は鎧ではなく、市井の男たちが身につけるようなゆったりしたズボンにチュニックという格好だ。
「ソワレこそ、一体何をやってるんだ？」
ヴェイクが逆に問い返した。
「ああ。ボクはちょっと、夫を待っているのさ」
「ていうと。大聖堂の中か？」
「…安産祈願を始めてから全く動こうとしないんだよ」
「安産…っておまえ！？」
「ストップ。ボクのことはもう良いだろう。そっちはどういう事情だい？」
そう言うとソワレは四人の中で最も簡潔に説明できそうな相手――マークの方を見た。
それに応え、マークが口を開く。

「イーリス城が占拠されました」
この上も無く簡潔な答えだった。
「なんだって？」
思わずソワレが聞き返す。
「イーリス城が占拠されました。首謀者は恐らくグラース公爵。小さいルキナさんは敵の手の中。母さんの行方は分かりません」
聞き終わる前に駆け出そうとしたソワレの腕をマークが掴んで止めた。
「今、行っても。何もできることはありません」
ひやりとするほど静かな声だった。
その手を振りほどこうとしていたソワレの動きが止まる。マークの、その瞳を見て。
彼の瞳はその秘めた激情を映すように、まばゆいばかりの黄金色に輝いていた。

「なぁ、いろいろ話すこともあるだろうが。とりあえず続きはうちで飯食いながらにしねーか？」
「でも、もう追手がついているかもしれないのに」
ヴェイクの提案にティアモが難色を示す。
「あ。それ、良いですね」
マークが掴んでいたソワレの手首をぱっと放した。
先ほどの冷淡な気配をすっかり無くして、再び琥珀色にたゆたう瞳。
「マーク？」
不思議そうに名を呼ぶルキナ。
「城下の様子が余りにも静かすぎます。おそらく、いまは城内を収めるのが先決なのでしょう。…小さいルキナさんの身柄と、ルキナさんのファルシオンが手に入れば、僕たちなどわざわざ追う必要もないと判断したのかもしれません」
「…え？」
「父さんが持つ炎の台座も手中にしたいところだと思うのですが…ティアモさん、父さんは軍を率いて今朝発ったのですね」
「ええ、そうよ」
「そちらも罠、という可能性もありますね……ヴェイクさん、ご飯のメニューはなんですか？」
急に話題が変わった。
「二日間煮込んだシチューと、豚のあばら肉の塩漬け。鶏もあとは香草を詰めて焼くだけだし、パンも昼に焼いたばっかのやつだ」
「わぁ、すごいご馳走じゃないですか」
嬉しそうにマークが言った。
「ソワレ、お前も来るんだろ？リベラも呼んでこいよ」
「ああ、そうさせてもらうよ…ボクの声が聞こえるぐらいには祈りが終わってると良いんだけど」
困ったように頭をかきながら、ソワレが大聖堂の入り口に向かった。

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これからもいろんな夫婦が出てきますが。全部私の一周目と同じです。他意はございません。

2012/7/21