連理の枝

『連理の枝』

～ペレジア編～　４．

遡ること数日。イーリス王都。

裏通りの中でもかなり深くまで入り込んだところに位置する酒場に、場違いな客が一人。
堂々たる体躯を包むのは簡素な旅装。青銀の髪は短く刈り込まれ、壮年の部類に入る精悍な顔立ちには深い光をたたえた紫紺色の瞳。
ペレジアの騎士、ダルだった。
カウンター越しに酒場の主人になにごとか訊ねる。主人が店の奥を指しながら答えを返すと、ダルは短く礼を言いカウンターに銀貨を一枚置いた。
薄暗く狭い店内の、カウンターとテーブルの間を奥へと進む。店の常連たちが無遠慮な視線をダルに注いだ。
店でも一番奥まったテーブルにたどり着くと彼は立ち止まった。小さなテーブルの上には氷塊が揺れる琥珀色の酒を満たしたグラスと、皿の上に大量に盛られたチョコレート。
その手前にダルは懐から出した小さな袋を置いた。
ずしりと、大きさの割に重みのある袋だった。
奥のテーブルに注目していた店内の視線が俄然熱を帯びる。

その段階になって、テーブルの主――ガイアはゆっくりと顔を上げた。
「王城に詳しいと聞いた」
その言葉にガイアの片眉が上がる。
「案内を、頼みたい」
ガイアの視線がテーブルに置かれた小さな袋に注がれた。
右手でひょいとつまみ上げる。
やはり、かなりの重量だ。持ち上げた時さらりと鳴った音からして、中身は砂金だと思われた。
「こんな場所でいきなりこんなものを見せるなんて、帰り道で襲ってくれと言ってるようなもんだぜ？」
にやりと、彼独特の笑みを浮かべて言う。
「もっとも、あんたぐらい強けりゃあそんな心配もいらんのかね」
長く闇の世界を生きてきたせいなのか、人と相対したときにまず、戦って勝てるのか、勝てなければ命は繋げそうか、それを推し量る癖が染み付いてしまっていた。
目の前に立つこの男。格好こそ粗末な旅装だが、一目見てこの男は騎士だとガイアは感じた。
その隙のない身のこなしや姿勢の良さからそう感じたのかとも思ったが、違う。
彼の知る騎士にどこか似ているのだ。その屈強な体躯を包む雰囲気、諦念と覚悟――守るべき相手を守り抜くことができなかったが故の諦念と新たな覚悟――恐らくその部分が、主君を喪ってなお戦いに身を投じたかの騎士の姿と、重なった。

「出来るか」
ガイアの言葉への返答は一切なく、眉一筋動かさぬ無表情な顔がそう言った。
相手に一歩も踏み込ませない、冷徹な空気。誘いも、罠も、近寄ることすら許しそうにない。
――斬られる覚悟で飛び込んで、殺れる確率は五分。
それが、ガイアの出した結論だった。
イーリスの王城。ある一件以来、二度と顔を見せるなと言われている場所だが――
――顔を合わせなきゃ良いだろう。
指先でつまみ上げるようにしていた砂金の袋を右手の中に収めると、言った。
「その依頼、受けても良いぜ？」

翌日、指定された場所――とある宿屋に赴くと件の騎士の他にもう二名、昏い目をした男女がそこには居た。
一見して男の部下という立場に見えたが、そう言いきれぬ何かがあった。まるで男を監視するかのような無遠慮な視線、それが違和感の正体だった。
――思っていたより厄介ごとになりそうだな。
そう考えた時に『やはり降りる』と言って回れ右をしていれば良かったのだろう。そうしていれば今も王都でなにも知らずに菓子を肴に酒を飲んでいられた筈だ。
高潔を絵に描いたようなこの騎士が王城に忍び込む、そのこと自体に好奇心を覚えたのが、ひとつ。
そして決定打はガイアに案内を望むその場所が、王妃の間であると知ったことだった。

ルフレを伴って四人がイーリス城下を後にしたあと。
気づくとガイアはダルに向かって、
『もう一袋砂金を弾んでくれるなら、国境までの安全な道行きを案内してやるぜ』
と提案していた。
自ら危険に足を踏み入れるような、彼らしからぬ提案だった。口にしてから少し後悔する。
無表情にガイアを見つめる大きな体躯が更に一回り膨れ上がるように殺気を纏ったのは一瞬だけのことで、斬られるかと身構えたガイアにダルは一言、頼む、と答えを返した。

――好奇心は身を滅ぼすとは良く言ったもんだな。
そんなことを考えながら天幕の入り口を潜る。
見張りに不意打ちを食らわせてから縛り上げた、その気配を察していたのだろう。夜も更けた時間にもかかわらず、ルフレは起きてそこに居た。
「ガイア…ダルは」
他の二人は分かる、だが、かの騎士の目をどうやって盗んでここへ来たのかとまず問うた。
「明日には国境を越えられるからな…用なしになった俺に一服盛ろうとしやがったから、分からんようにすり替えてやった。今頃は夢の中の筈だ」
もっとも、本当に気づいていなかったのか、何か考えがあって睡眠剤入りの酒をあおったのか。ガイアには判断がつかなかった。

「そんなことより、さっさと逃げるぞ」
「その前に、ひとつ教えて」
「なんだ？」
「ペレジアの国境に向かったイーリス正規軍は、無事？」
「……………」
一番答えづらいところを突いてくる。
途中唯一立ち寄った村で得た情報からガイアは、クロム達正規軍がペレジア側の罠に落ちて敗走した後、行方不明になっていることを知っていた。

「ガイア」
その様子から、彼が何か知っていると察したルフレが答えを促す。
「ペレジアとの戦に敗れて行方不明、そういう噂が流れてるのは確かだ」
総大将であるクロムが、かなり深い傷を負ったらしい、という噂の方は伏せておく。
「そう…」
静かなルフレの声。軽く伏せられた視線。

「なら、あたしは行けないわ」
「なんだと？」
窮地に立つ夫のもとへ行くというのではなく。このままペレジアへ向かうというのか。
ガイアにはルフレの考えが分からなかった。
「たぶん、ペレジアの目的はあたしなの。あたしさえペレジアへ行けば、クロム達はこれ以上の追撃を受けない。でも、あたしがクロムと合流すればペレジアは国境を侵しても攻めて来るかも知れない。それに、イーリス国内にも裏切り者がきっと居るわ。最悪の場合挟撃を受けることになる――あたしがクロムの元へ向かう、それはリスクが高すぎる」
葛藤すらなく、淡々とそう告げる。
そうなってしまったルフレを無理に連れ出せる唯一の人間。強さと真っ直ぐさを持った人間は――今この場には居ない。
「…そうか」
ガイアには、そう言うことしかできなかった。

「ガイア」
「――おう」
「お願い、聞いてくれる？」
「内容による」
何度か彼に無理な願いを聞いてもらった自覚のあるルフレは、その言葉にふと笑みを浮かべた。
「クロムに伝言」
「お前なぁ…」
心底嫌そうに、髪をかきながらの言葉。
「だめ？」
小首を傾げてルフレが言う。
「わざわざ恨まれるために苦労して行方を探し出せって？」
「ガイアにしか、頼めないから…おねがい」
ガイアが深い、深いため息を吐いた。

　　　◇◆◇

伏兵に備えて兵を堅くまとまらせる。
ひゅ、と鋭く振られた長剣から紅い血潮が辺りに散った。背に負っていた槍は途中で折れたので捨ててきた。
汗に濡れて額に張り付いた寝癖交じりの髪をかき上げた。
荒く息を継ぐ愛馬の首を労わるようになでる。

城郭都市から鬨の声が上がるのと呼応して味方である筈のペレジア正規軍からも鬨の声が上がり、挟撃の形で攻められた。
浮き足立つイーリス軍の中心に舞い降りたペガサス。速やかに撤退するようにというクロムの言葉をスミアが伝え、その言葉を受けてフレデリクとソールが軍をまとめあげていなかったら、少しでも撤退が遅れていたら、被害は更に甚大なものとなったろう。
ソールが殿をつとめながら撤退する中で、傷を負ってまだ意識の戻らぬクロムを抱えたカラムと合流して。フレデリク率いる本隊はクロムを守りながら国境を目指し、ソール率いる騎馬隊は殿軍として敵を引きつけることとなった。

勢いに乗って追撃してくるペレジア軍とギムレー教徒達に対して、ソールは騎馬隊を鏃のように小さくまとめて突っ込ませた。
ただ逃げるだけと見えたイーリス軍が騎手を返して突っ込んできたことでペレジア側は浮き足立ち、何度か反転して騎馬隊で駆け抜けると算を乱して散り散りになった。
後ろに本隊が控えていれば更なる追撃をかけるところだが、今のソールの役目は殿軍の指揮である。もう一度堅く兵をまとめ、素早く撤退した。落馬した者、命を落とした者、行方の分からなくなった者――半数近くの兵を失っていた。

「どうしますか？これ以上本隊と離れては合流が難しくなりますが…」
そう副官に声をかけられて、ソールは彼の方を向いた。
隣には、ソワレの副官も供にソールの指示を受けるべくそこに待っていた。
皆、どこかに傷を負っていた。ソール自身も満身創痍だった。大きいのは、左肩と右腿の矢傷。小さな傷は数え切れない。それでも命はあり、まだ充分に戦えた。
「そうだね。充分に殿軍の役は果たせた筈だから。クロム達の後を追って撤退しよう」
微かに笑むとそう言った。

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あんまり進まなくてすいません！
ちょっと、短編に時間を取られました。来週はも少し頑張れるように。します。

2012/7/28