連理の枝

『連理の枝』

～ペレジア編～　７．

あかい赤い紅い――――

深紅に染まった視界。自らの意思とは関係なく、ファウダーの意識を宿したエードラムの後をついてゆくルフレ。
その意識は遠い昔。ファウダーに連れ去られたギムレー教団での出来事の中を彷徨っていた。

紗膜がかかったような意識の中、脱がされた白いワンピース、代わりに着せられた漆黒のローブ。
少女を崇め畏れる顔顔顔。
禍々しい祭壇。ルフレの目の前でそこに捧げられた子供たち。
紅くあかく染まる視界――
『血縁者の生命を捧げ、ギムレー様の開眼をお助けしろ』
その時には意味の分からなかった言葉。

目を背けたくなるようなそれらの光景を、離れた場所から＜現在の＞ルフレが見つめていた。意識の底の夢の中――過去の自分の姿を見つめる。
記憶を取り戻してからもどうしても思い出せなかったそれが、ファウダーに対して無条件に感じる恐怖の理由が、いま目の前にあった。
生贄に捧げられたのはルフレの腹違いの兄弟姉妹たち。彼女が生まれるまでにファウダーが教団内の女性たちで『試した』その結果。

今はもうそこにはない、しるしのあった右手の甲をルフレは握り締めた。
ふと、背後に立つ気配を感じてルフレは振り向いた。
「クロム…」
「これは――おまえの記憶か？」
怒りなのか、悲しみなのか、感情のないまぜになったその声にルフレはやわらかく笑むことで応えとした。
もう一度、過去の自身の方へ振り向こうとしたルフレの肩をクロムが掴む。
不思議そうに見上げるルフレの頬に、クロムはそっと触れた。
「もう、見るな」
「クロム」
困ったようなルフレの声。
クロムはルフレを抱き寄せた。
「――おまえの記憶にあるものだ。いま目にしないことに意味はないかも知れんが。これ以上自分を傷つけるな」
クロムの腕の中でルフレはゆるゆると息を吐き出した。
「やっぱり、あたしとクロムの間に何か繋がりが出来てるのね」
「ああ。理由は分からんが…」
「あたしもこういう方面はさっぱり。サーリャや、ミリエルあたりなら上手く説明してくれるんでしょうけど」
「聞いても理解できる気がしないが」
「――クロム、あのね」
「なんだ」
「クロムは、自分自身とイーリスのことだけを考えて。あたしは、大丈夫だから」
「何を言って――」

そこでクロムは目を覚ました。
あまりにも唐突な目覚めだった。ルフレが何か操作したのか、それともより深い眠りに彼女がついたのか。それはクロムの側からはうかがい知れないことだった。

　　　◇◆◇

初めてペレジアの首都を目にしたものは誰しもが自らの目の不調か、幻覚か蜃気楼の類いかと疑うという。
どこまでも続く砂の海の中に唐突に現れる小高いお椀型の山。一面が緑に覆われた山を背にしてそびえる王城と、その裾野に広がる街。

あまり広くはない街路と、高さの抑えられた建造物。
王都にしては華やぎに欠けるその街並みは全て、外敵を想定してのものだった。
城下町のどこからも王城を見ることができる。つまり、街のどの場所に居ようと王城から見通されてしまう。
広さの抑えられた道。一度に多くの兵を通すことができない。

ペレジア城。そしてペレジア王都。
ここは、そういう場所だった。

暗愚王ギャンレル、ギムレー教団の教主ファウダーと、暗黒の時代に疲弊しきったペレジアの首都も、ギムレーが滅びて後に新たな王を得てからは少しずつ復興の道を歩み始めていた。
元来商業国家であるペレジアで商人たちを呼び戻すために一時的に税が免除された城下町には、まだ充分とはいえないもののかなりの数の商家が戻ってきていた。

その中でも一際賑わいを見せる目抜通りを歩く人影。人混みに紛れて目立たない容姿。
明るいチョコレート色の髪を押さえるように額に巻かれたバンダナが唯一の特徴といえば特徴だろうか。
いや、もうひとつ。もし通行人の誰かが触れ合えるほどに彼に近づいたとしたらその甘い香りに気づいたかもしれない。

彼がつい先程までペレジア城に忍び込んでいて、あの堅固な石垣を越えていまこの場に居ると言って、信じるものが居たかどうか。
ペレジア城の偵察を終えて、クロムたちの待つ宿へ戻る途中のガイアだった。
先程口に放り込んだ飴を、ガイアは奥歯でかみ砕いた。
がり、と音がする。
その音が気に入らないかのように微かに寄せられる眉。

ガイアは潜入した城で耳にした会話を思い起こしていた。

ペレジア王エードラムの出生についての噂、それに伴って、表向きは対立しているギムレー教団と裏では通じているのではないかという囁きも聞かれたが、精力的に復興に努める現国王の評判は概ね良好なものだった。特に、色素の薄い中性的な容貌と長身も合間って、女官たちの中での人気は高いようだ。
そんな国王がどうやら妃を迎えるらしいという微かな羨望を込めた女官たちの囀ずり。それらしき女性――すらりとした長身の透けるように肌の白い黒髪の娘だった――を王腹心の騎士が伴って城内を行くさまをごく少数の者が目撃していたが、それ以降城内のどこでも彼女の姿は見られていない。また、世話を申しつかった女官ももちろん居なかった。

やはりルフレはペレジア城に連れてこられたらしい。が――

――妃のくだりは抜かして報告出来んもんかね…

かの聖王の真正面からの殺気など好んで受ける趣味はなかった。

尾行がないことを確かめるために、路地裏の道を何度か抜けて遠回りをした後に、ガイアは目的の宿に戻ってきた。

この宿にはクロム、リズ、ルキナ、マーク、サーリャ、ヘンリー、そしてガイアが逗留している。
スミアとティアモ、それにヴェイクは目立つ天馬とともに国境付近に留まった。フレデリクとソール、ベルベットはイーリス正規軍の殆どを引き連れて、とうに国境を越えた筈だった。

腹芸のできる人間がイーリス王都に戻るべき、とはマークの言だった。

ペレジアのイーリスとの国境付近。イーリス正規軍が密かに陣を張る森の中。クロムたちの居る天幕で交わされたやりとりをガイアは思い起こしていた。

クロムの天幕に入っていったガイアは、寝台に休むクロムからその周囲へと視線を転じていくと、マークを認めてそちらを向いた。
「マークおまえ…また背が伸びたな」
「これでも育ち盛りですからね。僕をご指名ですか、ガイアさん」
「お前が居てくれて助かった」
「？なんのことでしょう」
「できればお前と、お前が居ないならフレデリクと。状況を整理しろ、って指示なんでね――俺もその意見には賛成だからな」
「…指示、というのはもしかして」
「そうだ。ルフレからの伝言を持ってきた」

ルフレ、というその名前にそこに居た全員が反応した。
「おっと。質問は後にしてくれないか。俺は先に伝令の役を果たさなきゃならん。残らずここに叩き込んできたんだ。余計な会話をしてたら抜けちまう」
そう言ってガイアは自らのこめかみをトンと叩いた。
一斉に話し出そうとした皆に対する、というよりも、今にも掴みかからんばかりの気配を纏ったクロムに対する牽制、そう見えた。

その場の空気が鎮まるのを待って、ガイアはマークにいくつかの質問を重ねた。
まず訊ねたのはイーリスの城はいま誰の手にあるのか、だった。続いてファルシオンと炎の台座の所在、この世界のまだ幼いルキナがいまどこに居るのか。
正規軍の今の状況、王都にはいま誰が残っているのか、等々――

ルフレは、イーリス国内でペレジアと通じている者が居るとしたら、その筆頭はおそらくグラース公爵だろうと、そう言っていた。以前宰相から忠告を受けたことがあるらしい。彼が狙うのは王権の象徴であるファルシオンと炎の台座、そして正統な継承者であるこの時代のルキナだろうと。特にルキナの身柄が敵の手中にある場合には打つ手を慎重に選ぶ必要があると言っていた。

――この世界のルキナと、未来から来たルキナの持つファルシオン。それにイーリス王都は敵の手の中、ね。『最悪の一歩手前』だな。

情報の限られた中で、いくつかの可能性に対しての策をルフレはガイアに託していた。
ルフレが冷静に語った『絶望的』――クロムが死亡し、彼の持つ神剣と炎の台座が敵の手に渡ったという仮定だった――を聞いた時にはさすがにガイアも絶句した。もっとも、クロムが生きていなければおそらく『分かる』と、この世界に戻ってきた後から何か繋がりができたようだから、ともルフレは言ったが。

「――こいつが目を覚ましたことは、どれぐらいの人間が知っている？」
「ここに集まっている人間以外ではそれぞれの副官が知っているかもしれませんが、一般の兵達にはまだ伝わっていない筈です」
「潰走の最中ならクロムを生死不明にしちまって、グラース公の出方を伺うのも手、とルフレは言ってたが…」
「この状況でその手は使えませんからね」
「その場に居ない人間が詳細な策を授けるのは危険だから避けたいとルフレは言っていた。ただ忠告として言ったのは、国境をうかつに越えるな、王都には戻るな、軍を一端解体しろ、この三つだ」
「軍を解体――ですか。それは僕も考えていませんでした」
「ヘンリーが言ってたそうだな、国境の向こうに何者かの私兵が居ると。そいつらは正規軍がまとまって戻ってきたのを迎え撃つつもりの筈だ。なら、バラバラに国境を越えるやつらに対する備えは甘い。目的はイーリスへ戻ることだからな。無駄な戦闘を避けるに越したことはない」
「いきなりこの場で軍を解体しては、一般兵が奇妙に思いますよ」
「秘密の守れそうな兵達を集めて追手に見せかける。自然と兵をばらばらにしながら国境を越えさせる。こいつは――」
そう言ってクロムを指す。
「一般兵に変装させておく。向こうの目的はこいつの命、それに炎の台座と神剣、だからな。聖王不在の正規軍ならばグラース公は襲うのではなく取り込みを図る公算が高い」
「それなら、もっと良い手があるよ～」
そうのんびりと切り出したのは意外にもヘンリーだった。
「前に屍兵の研究をやってた延長で、土から兵士を作り出す実験をやってるんだよ。まだまだ実戦には役に立たないけど偽兵としては使えるんじゃないかな～」
「ううん…危険性は残りますが、犠牲を少なくしてかつ国境を越えるには良い方法かもしれませんね…」
続きを言いかけてマークは何故か押し黙った。
今後の策を練る余りすっかり忘れていた父の気配が徐々に冷え込んでいたのに気づいて。

「それで――ルフレはどこに居る？」
ひやりとする声音。フレデリクの静止を振り切って立ち上がったクロムがガイアの前に立った。並ぶとクロムの方が少し背が高い。
ガイアがこれまでの会話でわざとルフレについての部分だけを省いて話していたことに、クロムは気づいているようだった。
苛立ちを含んだ濃青色の瞳をガイアは真っ直ぐに見返した。
「あいつは今頃ペレジアの王都だ」
「なに？」
「最初っから説明するからしばらく黙って聞け」

ガイアはかいつまんで事情を説明し始めた。途中、イーリス城内でペレジアの使者がルフレの元へ行く道をガイアが先導したと言った時、声を上げようとしたクロムを目で制した。
ガイアの話が終わって、クロムは静かに口を開いた。

「それで、言われた通りにルフレを置いてお前だけがこの場に居るというのか」
「何か、含みのある言い方だな」
挑発するようなにやにや笑いを浮かべたガイア。
クロムは衝動的にその襟を掴み上げた。
「――っ、笑うな」
声を荒げたクロムの襟をガイアが掴み返した。
笑いを消した真剣な表情で、言う。
「誰も彼もがお前みたいに馬鹿正直で真っ直ぐに生きてると思うな。俺には――俺の言葉じゃあルフレを動かすことは出来やしないんだ」
「そこまでにしていただきます」
クロムとガイアの間に割って入ったのはフレデリクだった。
きびきびとした動作でクロムを寝台に戻らせる。憮然とした表情で喉を押さえるガイアにそっと目礼した。

「俺がルフレから預かってきた情報はそんなもんだ。――最後にひとつ。あいつは自分のことは一切かまわず、皆イーリスのために動けと、そう言っていた」
淡々としたガイアの言葉に皆が息を飲む。
ガァンと盛大な音が響いた。
クロムが寝台を拳で殴った音だった。簡易寝台のやわな骨組みが一撃で破壊された。
殺意すら含んだ深青色の瞳がガイアを睨んだ。
「ルフレへの怒りを俺にぶつけないでくれ。文句は、本人に、言え。――ペレジア城なら一度忍び込んだことがある。迎えに行くなら手伝うぜ？」
刺し貫くような視線を正面から受け止めて、にやりと笑みさえ浮かべてガイアが言った。
「ルフレを見捨てろと言ったその口で、助けに行くのを手伝うと、そう言うのか？」
「見捨てろっていうのはあいつの伝言。伝えれば俺の役目は終わる。その後どうしようが俺の勝手だろうが――おい、マーク」
「はい」
「お前の考える最善の策はなんだ。ルフレが言ったように、あいつを見捨ててイーリスを取り戻すことが最善か？」
「一見よさそうに思えますが、その策には大きな穴があります。父さんの隣に母さんが居ないなんて、父さんの魂の半分がないも同然ですからね。そんな状態でどんな策を講じたって上手くいくはずがありません」
「的確だな。俺もそう思う」

「おまえら…俺をなんだと思ってる」
使い物にならなくなった寝台から立ち上がったクロムがどこか毒気を抜かれたようにそう言った。その瞳にはもう怒りはない。
ただ、決意だけがあった。
「マーク、策を考えろ。まずはルフレを取り戻す。同時にルキナの所在を確かめ、可能なら救出する。その策だ」
「はい、父さん」
クロムがガイアの前に立った。
「ガイア、手を貸せ」
「おう。いくらでも貸してやるぞ。報酬はまた、砂糖菓子にしてもらおうか」
にやりとガイアが笑みを浮かべた。

マークが立てた策はこうだった。
ヘンリーの作り出した兵を使って正規軍を追い少数ずつに分けて国境を越えさせる。軍を率いて国境を越えるのはフレデリクとソール。なにも知らないフリをして王都まで戻り、探りを入れる。ベルベットはソールと供に戻ると言った。
スミアとティアモはペレジア側に残る。ペガサスは目立つ――国境を越えさせるのは危険だった。天馬騎士は温存。ヴェイクはティアモと供に残ると言い、ヘンリーは王都を知っているから何か役に立つだろうからと同行を志願した。
クロムたちは密かにペレジアの王都に入り、ルフレの行方を捜す。

ガイアの持ち帰った情報――結局、妃の一件は伏せて報告した――に、皆一様に浮かない顔だった。
確かにペレジアの城にルフレは居た。それなのに現在の行方が分からない。

「すまん。行ける場所はくまなく探したが。隠し部屋でもあるのか、もう王都には居ないのか――どちらかだとしか思えん」
忸怩たるガイアの声音。
「いいえ。確かにこの近くに居るはずよ。何度占っても、そう、出るんだもの」
「だね～。僕とサーリャと、違う方法で占ってみてそうなんだから、間違いないと思うよ～」
「じゃあ、隠し部屋か――俺が見た感じじゃあそんな空間はなさそうなんだがなぁ」

そこで唐突にクロム達が集まったその部屋の出入り口の扉が開いた。
皆の視線がそこに集中する。
「お前、は」
クロムが言った。

扉を開けたのは一人の女性だった。
す、と頭を下げる動きに合わせてさらりと流れ落ちる髪。淡い青色のその流れ。

ペレジアの軍師、ディーネだった。

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一週空けると軽い記憶喪失になりますね…なに書くんだっけ、てなりましたよ。

2012/8/25