連理の枝

『連理の枝』

～ペレジア編～　９．

抗いようもなく濃い闇に包まれながらクロムはルフレの元へと駆けた。飛び込むようにしてこちらに駆けてきたルフレの身体を受け止める。
視線が合ったのは一瞬で。二人の視界は闇に呑まれた。
ルフレはクロムの腕の中で転移の魔力に包まれるのを感じていた。

床を大きく占める魔法陣の放つ燐光がその空間を薄紫色に染めていた。中心に据えられているのは禍々しい祭壇。
その光景は、ギムレー復活に伴って崩壊した竜の祭壇によく似ていた。
元来は清い空気に充たされた美しい祭壇だった。少なくとも、ルフレが幼い頃に一度だけ見たこの場所は息をするのも躊躇われる程の清廉さに充ちていた。それが何を祀るためのものだったのかは今となっては分からないが。現在のこの場所は間違いなく、ギムレー教徒たちが邪竜を祀るための空間だった。

周囲の闇が晴れたときクロムはまず腕の中のルフレを確認した。幻ではなく確かに彼女が居ることを見てとると、大きく息を吐き出した。
「ここは…？」
腕の中に居るルフレのことを更に強く抱き込む。上質な絹地で作られたドレスの滑らかな手触りの下にある細い腰も柔らかな感触も間違いなくクロムが知るもので。安堵の吐息が深まる。
「神殿の地下にある祭壇ね」
強く抱き込まれて少し苦しそうなルフレ。
クロムは拘束を僅かに緩めると、ルフレの顔を覗き込んだ。その視線が彼女の首筋に向けられて、クロムの眉がしかめられた。
「それがガイアの話していた首枷か」
ルフレが僅かに苦笑する。
「あの甘党…依頼外のことまで話すなんて。報酬から引いておかないと」

『感動の再会は済んだようだな』
地の底から沸き上がるような声音に、クロムとルフレはそちらを向いた。
「貴様は…」
顔立ちは全く違う。髪も、瞳の色も。
だがその身から吹きあがる黒紫色の禍々しいオーラ。酷薄な笑みを浮かべた唇、なによりもそのアイスブルーの瞳に凝る深淵の暗闇のごとき昏い焔は――
――邪術士ファウダー。
クロムは自身の無意識の叫びが正鵠を射ていたことを確信した。
クロムの全身から吹きあがる闘気が蒼白い燐火のように彼を包む。右手に提げたファルシオンも同じ焔を纏ってゆらめいた。
明確な殺意を持って、神剣を構えた。

エードラムを庇うようにしてその前にルフレが立ちはだかった。クロムが眉を僅かに顰める。
「ルフレ――そこを退け」
「断るわ」
エードラムの前を遮るようにして立つルフレに、苛立たしげにクロムが言う。
「エドは、あたしの弟なのよ――彼を害するつもりなら、例えクロム、あなたでも、相手になる」
そう言い放つルフレの背後にエードラムの姿をしたファウダーが立つ。恋人にするように両肩に触れ、髪をすき首筋を撫でた。ルフレの耳元でファウダーが囁いた。
『この器のために闘うか。自ら絶望の淵へと進むと言うなら手助けをしてやろう』
その言葉と同時に中空に現れた剣をルフレは無言で受け取った。
一度だけクロムと視線を合わせ、ルフレは背後を振り向いた。
ざっ、と、横凪ぎにした斬撃を紙一重でかわしてファウダーが背後に跳んだ。
切っ先を突きつけてルフレが言う。

「そこから出ていきなさいファウダー。でないと、心臓を貫くわ」
『構わぬ。この器が壊れるだけのことだ』
その指がルフレを示す。
『そうしたらそちらに移るだけのこと』
「なら、今からこちらに来てはどうなの？」
『ほう…私を拒まぬのか？おかしな奴だ。それともそれほどこの器、そなたにとって大切か？』
くつくつと嘲笑いながら言う。右手を自らの心臓の上に当てて、抉り取ろうとでもするかのように爪を立てた。
『これの死も絶望の糧になるならば…』
「やめなさい！」
『今は、せぬ。これの子をそなたが宿すまでは、必要な器であるからな』
ついと右手が上げられた。ルフレに向けられて。
『その剣を持って聖王を葬るが良い。それが、そなたにとって何よりの絶望を生み出す糧となる筈』
「誰が――っ、ぁ…」
ぐらりとルフレの上体が揺れて。クロムの方を振り向いたルフレの顔からは表情が一切消えていた。
クロムは二度、そんな彼女を目にしたことがある。一度目はペレジア城で炎の台座を奪われた時に、二度目は竜の祭壇を前にして彼女の雷撃に貫かれた時に。そのどちらも、ルフレは直後に意志を取り戻した。
だが今の彼女は以前よりもずっと深くファウダーの支配を受けているように見えた。抗う意思さえ捩じ伏せられる程に、深く。

「ルフレ！」
「そのような呼びかけなど無駄だ。それの精神は今、私に対する抗いようのない恐怖心で充たされている。それが、心を縛る何よりの鎖となる」
動きが制限されることを嫌ったのだろう。ルフレは手にした剣を無造作にドレスのスカートに突き刺すと裾を引き裂いていった。
ばさりと布の落ちる重い音がした。すらりと伸びた白い脚が露になる。貴婦人が身に付けるような踵の高い小さめの靴も脱ぎ捨てると、ルフレは改めてクロムに向けて剣を構えた。
ルフレの纏う闘気は痛いほどに澄み渡り、そこに迷いは見られない。
クロムは静かにファルシオンを構えた。
クロムが神剣を身体の右側に相手を貫くような形に構えたのに対して、ルフレは特に構えることはせず与えられた剣を右手に提げている。

訓練という形でならば、刃を合わせたことは幾度もあった。クロムの磨きあげられた剣技に対してルフレのそれは変則的で、何らかの型を元にしているとは思えたがそこから彼女独自の理論で新たに構築し直されたもののようだった。

ギムレーと共に消滅した時点のルフレとならば、互角。いまの、記憶や技はあの時のままでも身体的な能力はクロムと始めて出会った頃に戻ってしまったルフレとならば――ただ試合うだけならば、クロムが勝つ。だが実戦となるとどちらに分があるのか、クロムにも定かではなかった。お互いに知り尽くした剣技であるが故に、その呼吸ひとつで互いの想いが伝わるが故に。簡単にはいきそうもない。

先に地を蹴ったのはルフレだった。
真正面からの一撃をクロムが受ける。立て続けに繰り出される剣撃を全て受け流す。
ルフレが半歩引いてからの突きを繰り出す。その刃を絡めとる形に動く神剣。
途中で切っ先を下げたルフレが地を蹴って、クロムの頭上を舞った。着地と共にクロムの背後から横凪ぎに剣が払う。
ガィン、と鋼のぶつかる音。
ルフレが背後にはじき飛ばされた。

「お父様！」
「母さん！！」
「お兄ちゃん、いたー！あ、ルフレさんもっ！」

広大な空間に響いた声と足音。
ディーネに先導される形で駆け込んできたのはルキナとマーク、それにリズだった。少し遅れてサーリャとヘンリーも続く。
だが彼らはある地点から先へ行くことが出来なかった。そこに見えない壁があるかのように。

『ふむ、余計なものを連れてきてくれたものだ。裏切りには、死を――』
ファウダーの視線は真っ直ぐにディーネの姿を射抜いていた。

「――ぁ…」
一瞬の後、ディーネの身体は黒紫色の雷に貫かれていた。
スローモーションのように倒れる身体。石造りの冷たい床に広がる淡青色の髪。

「ディーネ！」
誰かの叫び声がした。
それは、ファウダーに支配された筈のエードラムの口から出た、彼自身の叫び声だった。
その瞬間にルフレの視界を染めた真紅が晴れ、急激に意識が引き戻された。
からんとその手から剣が落ちた。

『まだ我が支配に抗うか…なんとも頑迷な姉弟よ』
エードラムの口が今度はファウダーの言葉を紡ぐ。
『ならば、望み通り直接支配してやろう』

エードラムの身体から湧き出す黒い影がファウダーの形を取る。

「ルフレっ」
「来ないで！」
駆け寄ろうとするクロムを制するルフレの叫び。
ただそう言われただけで従うようなクロムではないが、今の声音に含まれる響きに悲壮さが全くないことをクロムは敏感に読み取っていた。
大丈夫だから、と。そして、危ないから離れていろ、とも聞こえた。

「やっと出てきたわね、ファウダー」
『敢えてこれの身体から出させたと言うのか？だが、それでどうする。その首枷がある限りそなたは我の支配からは逃れられぬ』
「ではこの首枷がなくなったら？」
『…なに？』
「この首枷はあたしの魔力を計算し尽くして、それを殺すように設計されてる。その効果には製作者の魔力の強さが関係している。肉体を離れたあなたの力で抑えきれるものかしら」
『それを考慮せずにいたと思うか？』
「いいえ。でも、あなたが想定したのは以前のあたしの魔力の筈。――これがどういう意味か分かる？」
『！！まさか貴様、既に――』

その答えに代えて、ルフレは柔らかな笑みを浮かべた。

『――っ、止せ！！』

辺りを白光が染めて、雷鳴が轟と響き渡る。
ルフレの身の内から解放された魔力の渦が首枷を砕き、溢れる奔流がファウダーを襲う。
ルフレはがくりと膝をついた。荒く息を乱して、自らを抱くように腕を回して支えた。

光が拡散して視界が晴れた時、そこには未だファウダーの残滓が黒霧として残っていた。

『甘いわ！魔力を解き放ち力を弱めたその器、我が支配下とする』

力の入らないルフレの身体に黒い霧が迫る。

「――クロム！」

ルフレがそう呼ばうまでもなく、視界が晴れた瞬間にクロムはルフレの元に駆けていた。庇う形で立ちはだかるその手には燐光を放つ神剣。

『ぐああぁぁぁぁぁぁ…』

ファルシオンが空を切る音に重なりファウダーの断末魔の声が長く、長く響いて消えた。

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ファウダーお父さんが無事ファルシオンの錆になりました。

2012/9/8