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『ソロモンの指輪』
【10 いずみ遊】 お使いの帰りに秋せつらの店に立ち寄った人形娘は、店頭に主人がいないのを見ると、 主人を出せとシュプレヒコールをあげる客を横目に店の裏側へまわった。 少しだけ開かれた扉を疑問に思い、そっと押し開けた彼女が見たのは 右腕に左手で透明なシートを貼ろうと悪戦苦闘している秋せつらであった。 「秋様？！」 「いいところに来たね」 茫洋と返す表情に苦痛の色は見えないが、黒いコートは右腕だけがなくなり、 本来は陶磁器のような肌が覗くべきところを、焼け爛れた肌が露出していた。 「これは……」 「ちょっと失敗しちゃって。これ、貼ってくれるかな？」 人形娘に手渡したのは、メフィスト病院監修の応急処置セットに入っている火傷修復シートである。 せつらからシートを受け取った人形娘は手にしたシートとせつらの腕を交互に見て だめです、と首を振った。 「メフィスト先生のところに行きましょう。 これでは間に合いません」 「今ちょっと、あいつのところは……」 ははは、と力なく笑う姿は、病院に行きたくないんですとしり込みする弱弱しい青年そのものだが、 メフィスト病院には現在、怪我をさせた張本人がいると、かろうじて取りつけた糸から知っているのであった。 「ではどうすれば……」 「とりあえず、明日、あいつのとこいって、これを大量にもらってきてくれないかな？ 今日はもう、陽も暮れるし危ないから」 でも、となおも続ける人形娘の頭を、なだめるように撫でて、さぁお帰り、とせつらが微笑んだ。 ちょうど、客に刀を出して脅された店員が店主を呼びに来て、気絶した。 闇の中で何かが規則的に動いていた。 それに合わせて、断続的に女の吐息が混じる。 外を通る車のテールランプが室内を照らし、 床に横たわる女と、それに馬乗りになっている男の影を一瞬、壁に写し取った。 「貴方のそれ、治らないの？」 声は床ではなく、扉の方向からした。 コンクリートを鳴らすピンヒールは、中で行われている行為を気にすることなく 部屋の中へと進んでいく。 「<魔界都市>なんて名がついていたって、男は男で女は女だ」 動きを止めずに答えたのは、ヴリシュチカであった。 息一つ乱さないヴリシュチカに対し、組み敷かれている女は口から垂れた涎を拭うことなく、 ヴリシュチカを受け入れながら、意味のない言葉を息も絶え絶えに漏らしている。 「おまえが相手してくれるっていうなら、今すぐやめるが？」 ピンヒールから舐めるように脚、それを気持ち程度に隠す真紅のドレスへと視線が上がる。 豊かなふくらみの上の、細い首の上にあったのは、双子の妹、ポルガラの顔であった。 「私、美しいものにしか欲情しないの」 身も蓋もない言葉である。 ただ、これほどの美女に言われれば、諦めるしかない言葉である。 ヴリシュチカは肩を竦め、女の中におさめていたものを抜いて立ち上がった。 快楽を中途で奪われた女がああ、と切なげに手を伸ばしたが、 二度とヴリシュチカが振り向くことはなかった。 「何の用だ？」 廃墟ビルから出たヴリシュチカとポルガラは近くの空き地へと場所を移していた。 切れかかった電灯が細切れに二人を闇夜に浮かび上がらせる。 「事務連絡が一つと、頼みごとが一つ。 シンハが西新宿のせんべい屋と戦い負傷したわ。 せんべい屋さんも怪我をしたみたい」 「おい」 「私、せんべい屋さんに依頼をしたの。 私の……兄が渡してしまった指輪を捜して欲しいって」 ブランコの柵に寄りかかり、投げ出されたヴリシュチカの右脚に、 ドレスが捲れ上がるのも気にせず、ポルガラが近寄って乗り上げる。 自分の太腿をまたぎ、胸に手を置いて、首をかしげて見上げるポルガラに、 ヴリシュチカの喉がごくりと鳴った。 「美しいものにしか欲情しないけれど、もっと欲しいのは傷ついた男。 指輪のない私は、使い魔だけでは弱いの、知ってるわよね？ せんべい屋さんの周りにうようよしている邪魔者を足止めするくらいわけないでしょ？」 胸にあったポルガラの手がするすると下がり、脚のつけねあたりをくるくるとする。 「……ポルガラ、白いやつがお前の使い魔を継承したがってたぞ」 「メフィストは後でいいの。今欲しいのは、傷ついたせんべい屋さん」 「おまえ、目的が……」 「あら、12人の目的がみんな同じだなんて貴方まさか思ってないでしょ？」 「だとして」 も、は役目を終えた電灯とともにポルガラの口内へ消えた。
2013.06.17
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