|
『ソロモンの指輪』
【25 しらゆき】 傾城傾国とも言える妖麗な美女へと変貌を遂げたアストレイアが、そろりと脚を踏み出した。 黒々と流れる髪が蠢き、白い肌に纏わりつく。 白い滑らかな身体から、ふわりと拡がる熟した果実のような、甘く濃い香り。 その芳醇な香りに、辺りを包む草花の匂いが一瞬で褪せる。 己を恥じ、一斉に頭を垂れた花々の上を、躊躇うことなくアストレイアは移動した。 豊かな乳房と丸い尻朶が、零れ落ちそうにとろとろと揺れる。 魅入られてしまったのか、ただ立ち竦むふゆはるの胸に、アストレイアは白く細い指を伸ばした。 ……ぷつっ。 綺麗に尖った爪が、シャツのボタンを弾き飛ばした。 はだけた胸元から、白い肌が覗く。誰もが吸い付きたくなるような色香を纏った、透き通る肌膚。 「おかしな男。これほど美しい肌の持ち主ならば、貌もさぞかし美しいでしょうに……なぜ仮面で隠すのです？」 さらにもう一つ。 ボタンを外そうとした繊指を、それよりも尚しなやかで美しい指が、握り潰した。 「なぜです？あなたの望み通りの姿でしょう」 「生憎だが、俺は女の好みには、うるさくてな」 感情を感じさせない冷ややかな声で告げ、ふゆはるは握った指に力を込めた。 絶世の美貌が僅かに歪む。 凄絶な怒気と共に立ち上がるアルデバランを手で制し、アストレイアはちろりと唇を舐めた。 ざぁ…… 花々の甘ったるい香りを運ぶ風に、静かに張り詰めた殺気が混じる。 一触即発。 辺りの空気が緊張に耐え切れず、破裂しそうになった瞬間。 「あの～すいません」 この場に全くそぐわない、平々凡々たる男の声が呑気に響いた。 緊迫した空気に気付かないのか、その男は無言の三人に構わず近付き、よれよれのトレンチコートから黒い手帳のような物を取り出した。 「あたし、新宿署の朽葉という者なんですが」 「新宿、署……」 艶めかしく黒髪をうねらせ、不審げに首を傾げた妖艶な裸の美女を目にし、朽葉はパチパチと目を瞬かせた。 「こ、こりゃどうも……もしかして、お楽しみの真っ最中でしたかね」 「新宿署の刑事が、こんな所までなんの用だ」 興味もなさそうに訊ねる凍てついた声に、ハッと妖女の乳房から目を逸らし、朽葉は頭を掻いた。 「あのー、ここらで猫を見ませんでしたか？」 「猫？」 意外な答えに、さすがに驚いたのか。 仮面の奥の瞳が僅かに動いた。 「ええ。署長の奥さんが可愛がっているエリザベスちゃんが逃げたので探せと特命を受けまして。都庁前からここまで追い掛けてきたんですが……見失ったようですなぁ」 朽葉はキョロキョロと、忙しく周囲を見回した。 場違いに現れた、薄汚れた刑事を邪魔者だと判断したのか。 突如、アルデバランがごつごつと筋肉に覆われた巨体を揺らし、朽葉に向かって突進した。 常人では到底、躱すことが不可能な猛牛のごとき攻撃に、新宿署の一刑事は為す術もなく、弾き飛ばされバラバラになる…… かと思われた瞬間。 「いてっ」 朽葉はバランスを崩し、地面にしゃがみ込んだ。 標的を突然失った牡牛座の戦士は、勢い余り、もんどり打って花園に沈む。 「ほう…」 ふゆはるが、初めてその仮面を朽葉に向けた。 「どうした」 「いやぁ。蜂に刺されたようで…あいたたたっ」 相方の不様な姿を黒硝子のような冷たい瞳で見据え、アストレイアが口角をキュッと持ち上げた。 「蜂に感謝なさい。そんなひ弱な身体、一瞬で粉々になっていたことでしょう」 「…今のを単なる偶然の出来事だと思うのなら、今すぐ街を出た方がいい。ここは新宿だ」 誇るような、嘲笑するような、そんな声が無表情な仮面から流れた。
2013.11.13
|